墓参り

東本願寺三十年紛争

東本願寺三十年紛争

現代の浄土真宗の「教団」(西=本願寺派と東=大谷派ですね)とは何なのか、一番よくまとまっているのはこの本だと薦められた。

父方の祖父は熱心な真宗(「西」の本願寺派)の信者で、大谷本廟にもお寺の檀家さんたちの連名で分骨させていただいているのですが、父は、別に宗旨替えしたわけでもないのに、生前、東山浄苑の権利を購入しており、そこへ納骨したので、墓参りのたびに、「お東さん」のお世話になっている。

今回、この本を読んでみたら、騒動の第二ステージというべき1990年代に東山浄苑が大幅に増築されて、入居者(と言うのだろうか?)が新規募集されたのと、父が退職したのが同じ時期だとわかった。おそらく誰かに薦められて、退職金で墓を買ったのだろう。

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東の大谷家の話だけでなく、西の大谷家との対比もあり、両大谷家と皇室・摂関家との関係が明治以後も続いている一方で、教団内の近代化運動とのせめぎ合いがあって、さらには、教団や大谷家が所有するのは京都の広大な一等地ですから、児玉誉士夫の名前がひょいと出てくるような土地開発利権の話も出てきて、聖も俗も、表も裏も出てくる一大ドラマが、元新聞記者の抑えた筆致で、とてもわかりやすく整理されていた。

ノンフィクションのお手本みたいな本。勉強になりました。

(そして、「現代社会」で宗教界の皇族と言うべき大谷家の複雑なお家騒動が起こりうるのだということがわかると、リベラルのなかでも、ラディカルで、なおかつ理性的な主張として、「天皇制を廃止して、皇族には、神道の祭祀を司る家として京都へお戻りいただいたらどうか」という共和派の意見があり、リベラルを徹底するとそうなるだろうなあ、とは思うけれど、本当にそれを実現しようとすると、大谷家どころの騒ぎじゃなくなるだろうなあ、とも思う。

その意味では、リベラルな人も読む価値あり。

京都から、浅田彰みたいに1989年の昭和天皇崩御を突き放して語る人が出てきたのは、大谷家が身近で様々なシミレーションをしてくれている土地柄だからなのかもしれませんね。)

[先のコンヴィチュニーのオペラ・アカデミーの受講生の打ち上げは京都駅周辺で行われたようで、終わったら京都だよ、と聞かされた彼は、即座に、「歴代のエンペラーが……」とか言い出した。あまりにもベタだが、共和国の住人は、日本というと、エンペラーのいる国へ来た、と思うものなのか(笑)。コンヴィチュニー、そういうところは頑固一徹……というか、普通の観光客の心を持っているようでした。]