ポスト啓蒙主義時代のハイドン

今日は大阪音大音楽院で「ハイドンとロンドン」という話をします。

ハイドンの個人様式の変遷では、古い音楽史だと1780年代のウィーンでのモーツァルトとの交流が「ウィーン古典派様式の完成」として強調されていたように思いますが、ハイドンのロンドン行きは1790年代で、モーツァルトの死後、既にベートーヴェンがウィーンに来ている時期なんですよね。

そしてこれは、「フランス革命後」という風にドラマチックに形容するよりも、伊東信宏さんが「奇略」というキーワードで読み解こうとしたエステルハージ時代(ドイツ啓蒙君主の全盛時代)との対比で、国際商業都市ロンドン(革命を逃れた亡命者も多くいたらしい)を経験してしまったポスト啓蒙主義時代と考えた方が、21世紀の現在からながめるときには面白いかもしれません。

ハイドンは、啓蒙主義時代のハイドンとポスト啓蒙主義時代のハイドンの二人いる。そしてこの、大移動を挟む変化は、ドヴォルザークがニューヨーク以前(ブラームス風の器楽)とニューヨーク以後(ワーグナー、リスト風のオペラと交響詩)で別人のようになるのと似ているかもしれない。

そんな気がしております。

中高年になってからロンドンやニューヨークの「世界システム」のコアに触れてしまったとき、人は何が変わるのか、変わらないのか……。

(今回は、ロンドンからウィーンに戻って、もはや交響曲を書くのを止めてしまった最晩年の巨大オラトリオのハイドン=ますますポスト啓蒙主義になる最晩年は、扱えませんが。)