関西系都市文化論のカラクリ

谷崎潤一郎が関東大震災後に関西に移住したことと、京都人の神戸好き(大阪嫌い)&阪神間の人々の京都好き(大阪嫌い)を掛け合わせる感じに、関西を拠点とする都市文化論の系譜が脈々と続いている印象がある。

戦後再独立でナショナリズムが高まったときには、実演家と評論家と学者がタッグを組んで古典芸能(狂言・歌舞伎・文楽)を関西発で近代化する動きがあったし(関西歌劇団の創作歌劇はこれに乗っかることで足場を固めた)、高度成長から安定成長への転換期には、万博から民博と大阪21世紀協会が誕生する「イベント学」が鉦や太鼓を鳴らし続けた(大栗裕の吹奏楽作品が「大阪のバルトーク」と称され、死後急速に広まったのはこの時代)。そしてバブルがはじけると、身の丈に合った豊かさの再発見ということで「阪神間山の手モダニズム」がブームになって(貴志康一と大澤壽人だ)、しかしこれもそろそろネタ切れかと思いきや、今度は、おそらく花札のNINTENDOの肝いりなのであろう「遊び学」ということなので、カイヨワを翻訳した京大仏文学者の多田道太郎を誰かがそろそろ再評価するのであろう。

これはどういうカラクリになっているのか。世代交代したら消滅するんだろうなあと思っていたら、どうやらそういうことでもなさそうなので、やはりちゃんと考えた方がいいのかもしれない。

阪神観―「間」の文化快楽

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