つながらない音楽史

今やっている管弦楽史の授業は、チャイコフスキーとドボルザークとブルックナーとマーラーはみんな違う、という、つながらない音楽史になりつつある。

ショスタコーヴィチとメシアンとブリテンは、もはや別の銀河かもしれない。

音大の未来のオーケストラパーソン(オケマンの語は政治的に正しく言い換えるとやはりこうなるのだろうか)には、ワーグナーもしくはマーラーを中心に据えるとオケのレパートリーは大抵ひとつの流れにつながる、というような、CD時代、バブル景気の成れの果てのようなクラオタ文化史に背を向けて育っていただきたいと思っている。

アレックス・ロスの元気が出る20世紀音楽論もそんな感じだしね。