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説教芸術

落ち目の大学教員の説教はうっとうしいわけだが(「落ち目」についても「うっとうしい」についても、そうならないように自戒したい)、それとは別に、語り物のなかには説教芸・説教芸術というのがあるように思う。オラトリオは、まさに oratio の説教の芸能化だし、日本の寺の節談説教が落語・講談の起源(のひとつ?)だろうと言われたりする。

詩歌のなかにも、抒情へ向かうのではなく、説教芸の系譜があるように思う。シューベルトやドイツリートに、そういうものがどれくらい流れ込んでいるのか。シューベルトがゲーテやシラーに作曲した初期の歌曲から「説教臭さ」の様式特性を分析・抽出する作業は、薄命孤高の抒情歌人、みたいなイメージへの解毒剤として、あってもいいのではなかろうか。シュパウンなどの同窓生・上級生・卒業生たちがまさにそのようなものを期待していたというのであれば、なおさら、そのような、リートの「説教臭さ」の誕生と展開を追うのは、意味があるかもしれない。リリシズムの音楽化を語りうるのだとしたら、説教臭さの音楽化についても(たぶんベートーヴェンあたりとの関連を含めて)どこかで一度ちゃんと考えてみたい気がする。