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教養を財産で補うこと

書き出しの文体が仰々しく、このテンションで最後まで保つのか心配になるが、序章の最後で話者は正気に戻って本書の構成などを平熱で説明する。続けて政治史を丁寧におさらいするあたりから、カルスタ/ポスコロ的なイデオロギー論ではないドイツ音楽・ドイツ文化論であることが次第に明らかになり、本の半ば、リヒャルト・シュトラウスが登場したところに、「教養を財産で補うことに居直る世代」というものすごい文言が書き付けられている。

私自身は私学とも塾とも予備校とも無縁で、教育に財産を投入せずに育っていますが、「財産による教養の補填によって、今の私はここにいる」は、この島の音楽の周囲でも普通のことになっていますよね。

「帝国のオペラ」をスキャンダルの連鎖(岡田暁生風の)でもなければ、熱に浮かれたイデオロギー論(「音楽の国」というような)でもないスタンスで書くことができているのは、対象の特性描写が書き手と読み手に反射するような二重の意味で、「財産による教養の補填」を明文化したからこそだと思います。

帝国のオペラ: 《ニーベルングの指環》から《ばらの騎士》へ (河出ブックス)

帝国のオペラ: 《ニーベルングの指環》から《ばらの騎士》へ (河出ブックス)

この本を読む前に、↓こういう文章を書いておいてよかった。

芸術自己目的説への疑問:「もてない芸術」のために - 仕事の日記