踊るダンスと見るダンス:宮廷外交、ナショナリズム/異国趣味、モダニズム

19世紀のナショナリズムと20世紀の民族主義の違いが昔からずっとピンと来なかったのだけれど、ダンスのことを整理してようやく腑に落ちた。

踊るダンスと見るダンスの区別が鍵になっていて、19世紀のナショナルな舞踊=民俗舞踊(ドイツのワルツ、ボヘミアのポルカ、ポーランドのマズルカ)は各国の都市の舞踏会で踊られて、舞踏会での流行に追随して劇場のオペラやバレエに取り入れられた「踊るダンス」だけれど、インドの踊り/アラビアの踊り/中国の踊りといった(想像上の)異国の踊り=舞踊の異国趣味は、劇場の客席で「見る」だけで踊られなかった。

舞踊では、自らそれを踊るか踊らないか、という舞踊との身体的・知覚的な「距離」が、対話・共感し得る「国」と、対象として観察される「異文化」を分けていたのだと思う。上品な市民にとっては、他の「国」との舞踊の交換がノブレス・オブリージュだったのだろうし、その一方で、見るだけで踊らない(踊れない)異文化は、身体的・知覚的に「遠い」存在だったんだと思う。

(19世紀の市民が他の国の民俗舞踊を踊るのは、おそらく、宮廷舞踊でサラバンドやアルマンドやポロネーズやジグが踊られた習慣を引き継いでいるのでしょう。宮廷人が「諸国の踊り」を踊ることで他国への敬意=社交・外交を成立させたように、19世紀の市民は、他の国の民俗舞踊を踊ったのだと思う。

17、18世紀の「諸国の踊り」が振付を標準化した踊りやすいものに様式化されていた(「諸国の踊り」にはパ・ド・ガヴォットやパ・ド・ブレのような個々の踊りに固有の振付=「個性」が設定されていない)のに対して、19世紀の民俗舞踊はそれぞれに固有の振付があって、かつての宮廷の「諸国の踊り」とは舞踊としての在り方が変わってはいるけれど(=17、18世紀には乖離していた「国」概念と「個性」概念が19世紀に重なり合って、「諸国の踊り」=キャラクター・ダンスになってはいるけれど)。)

で、20世紀は、北米のジャズや南米のサンバが世界中のダンスホールで踊られるわけですね。異民族・異文化のダンスを踊る、というのは、20世紀ならではの人類学的経験なのかもしれない。異民族・異文化が、踊れてしまうものになって、身体的・知覚的な「距離」がいったん取り払われた。

20世紀に文化の人類学がさかんになるのは、踊るか踊らないか、という直感的な(=身体的・知覚的な)区別で文化との距離を測る時代ではなくなって、「その気になれば一緒に踊れてしまう他者」とつきあうことになったせいかもしれない。

(そしてそういえば、スキャンダルを巻き起こして評判になったリヒャルト・シュトラウスのサロメとエレクトラでは、プリマドンナがユダヤの王女、ギリシャの王女として「自ら踊り」ますね。バレエの国ロシアの「エフゲニー・オネーギン」のヒロイン、タチアナは、村人が踊る傍らで本ばかり読んでオネーギンへの恋心を拗らせていたが。)