熱線と光線/オーケストラの魅力と限界

ゴジラが口から吐いていたのは、のちの特撮映画のヒーローたちのような光線ではなく、熱線(白熱線とか放射熱線と呼ばれるらしい)なのだそうですね。

火炎放射は第二次世界大戦で実際に米軍が硫黄島などで使っていたようで、ナチスはサーチライトによる光の演出を好んだことが知られているけれど、レーザー装置は1960年頃ようやく実用化されたらしいので、初代ゴジラの時代は、まだ「光線」がフィクションの有力なアイテムにはなっていなかった、という理解でいいのでしょうか。

「みず」や「ほのお」や「こおり」や「でんき」や「かくとう」に分類されたモンスターたちがそれらしい「わざ」を身につけるなかで、「ノーマル」な種族が「こうせん」を体得するのはどういう世界観なのだろう、と、ポケモンの設定が気になったに過ぎないのですが、

でも、強引に音楽の話に接続するとしたら、

合唱やピアノや弦楽四重奏が同質のサウンドで音楽を組み立てる一方で、オーケストラは、様々な種(別々の「わざ」を身につけているような)の組み合わせだと言えなくはないかも知れない。

いずれも山田和樹の指揮で、東京混声のコンサートを大阪(いずみホール)、大澤壽人の満艦飾のオーケストラ作品を東京(サントリーホール)で続けて聴くと、昭和の作曲家たちがオーケストラに夢中になって、これこそが西洋音楽の本丸だと考えたのは、グローバル・スタンダードを受け入れる「近代化」とは少しずれる衝動だったのではなかろうか、と思えてくる。

オーケストラで天下を取る、というのは、いかにも「男子一生の仕事」な感じがするけれど(そしてこの仕事が昭和の関西では大澤壽人から朝比奈隆や大栗裕に受け継がれてその先に現在があるわけだけれど)、合唱には、それとは違うかけがえのなさがあるように思う。

大澤壽人が、ボストン留学から戦後亡くなるまで、「ソナタ形式で作曲する」という態度を貫いたことも、モダニストといいながら、やっぱり時代の子だったんだなあ、と思いました。

大澤壽人演奏会がゴジラの片山杜秀プロデュースだった一方、合唱演奏会のほうは、今回、二人の女性作曲家の作品を取り上げて、ピアノ、オルガン、バレエのゲストも女性だったんですよね。

(大澤壽人も大栗裕も、放送の仕事になると「ソナタ形式の呪縛」から解放される。当時は「ソナタ形式の音楽」のほうが重要だったかもしれないけれど、彼らがそこから解放された領域で何をどこまでやれたのか、ということのほうが、今の私にはむしろ気になる。)