友人という名の「演歌的」関係性について

学会の公式行事の企画者が登壇を予定する者から「○○君」と呼ばれ、この行事とは別の文脈においてではあるが、当該人物が「サブちゃんとワジマ先生」というようにキャラクター化してイジられるのは、おそらく、そのようにお互いを呼び合う旧友関係を前提にしているのだろうが、40歳を過ぎた社会人が公然とそのような「空気」を醸造・維持しながら執り行われる行事の円滑な遂行のために「どうか、会費を納入してください」と懇願されても、正常な判断力のある社会人は戸惑うばかりであろうかと思う。

リチャード・タラスキンが、大学教授という職業を「生活の糧を得るための手段に過ぎない」と位置づけて、自らの人生を「自分がやりたいことをやってきた」と語る行為は、社会のシステムや個人の意志・欲望をそのように明示することで、反転して、「知」がパブリックに行使される場の存在を、それこそ「空気」のように開示していると思うのだが、

「輪島君/ワジマ先生」という呼称が流通するソーシャル・ネットワークは、これとは逆に、出口のないプライヴェート空間に万物を飲み込むブラックホールになりつつあるのではないだろうか。

人々はそのようなブラックホールに喜んで私財を投じてくれるに違いない、そして、貴重な週末の午後に自らの身体をそのような場に運んでくれるに違いない、と考えるのは、将来性ある信念なのだろうか、それとも、先細るしかない後ろ向きのなれ合いなのだろうか?

「演歌」という概念は、音楽のナショナリズムとグローバリズムの関係を読み解いて大きな文脈に位置づけるための鍵、大海をスムーズに航行するのに役立つ碇というより、とりあえずの目印として海上に浮かぶブイのようなものではないかと私は思う。そもそも、ナショナリズムとグローバリズムという問題設定自体が、21世紀への転換の数十年には有効だったが、たぶん過渡的でそれほど長い周期の歴史を照らし出してはいないし、むしろ、演歌というブイは、ナショナリズムとグローバリズムという問題設定の底の浅さを暴露するきっかけとして利用するのがいいんじゃないか。そして設定された問題の可能性と限界が明らかになれば、暫定的な役割を終えたツールとして、早々に回収して差し支えないんじゃないだろうか。

(ちょうど、総合商社と文化人類学の70〜80年代にもてはやされた「ケチャとガムランのインドネシア」が90年代にそのシンボリックな意味を失ったように。)

だから、この概念の効用を提唱した者が、知という大海のエコロジーのために成すべきは、いつまでもブイを海上に浮かべ続けて、その発明者としてのプライオリティを主張することではなく、賞味期限を見極めて、適切なタイミングでその人工物を撤収することではないかと、私はそのように考えております。

輪島裕介が第二の中川真にならないことを祈る。