Happy Birthday, Aaron Copland.


Copland conducts El Salon Mexico, New York Philharmonic

バーンスタインのヤング・ピープルズ・コンサーツにコープランドの回があるのは学生時代にLDで観て知っていたけれど、コープランドは、ストラヴィンスキーらを招いた会場でガーシュウィンがラプソディ・イン・ブルーを披露するという異様なイベントでアメリカがとち狂っていたのと同じ時期に、パリ留学から戻って「シンデレラ・ボーイ」としてボストンとニューヨークでデビューしているんですね。

(クーセヴィツキーがボストンで作曲家たちへの委嘱シリーズをスタートしたときに、若きコープランドは別格の扱いを受けていたように見えます。)

で、ヤング・ピープルズ・コンサーツでコープランド自身がエル・サロ・メヒコを指揮しているけれど、そういう経緯を踏まえて見直すと、なるほど、これはコープランドによる「アメリカのハルサイ」なんだなあ、と思う。

ボストンで育ったバーンスタインがコープランドに憧れたのは、そうした経緯があってこそだろうし、若き日のバーンスタインがニューヨークのコープランドのところへ押しかけたのは、バーンスタインの若き日のアイドルであったあろうブルックリン出身のユダヤ人音楽家2人のうち、ガーシュウィンが既に死んでしまっていて、残りのもう一人に接近した、ということだったんでしょうね。

(若き日のベートーヴェンが、本当に憧れていたのはピアノ・コンチェルトでウィーンを席巻したモーツァルトだっただろうけれど、死んでしまったのでその年長の友人だったハイドンに入門したのを連想させます。)

バーンスタインも、バーンスタインが引き立てた小澤征爾も、若い頃に華やかに世に出ているけれど、どうやら、こういう「若き才能のアメリカ・デビュー」は、1920年代のコープランドの反復だったのではないか。

(コープランドのデビューは、ナディア・ブーランジェが絡んでいるのも興味深いですが。)

コープランドの言葉を引用する形で、アレックス・ロスはアメリカの20世紀音楽を「見えない音楽」と呼んでいるけれど、そのアレックス・ロスの仕事あたりを折り返し点にして、21世紀が本格的に始まっている感のある今では、アメリカの20世紀音楽が、視界の中心に据えて注意深く観察すべき「可視化された存在」になったように思います。

20世紀を語る音楽 (1)

20世紀を語る音楽 (1)

[追記]

そして大澤壽人は、そんなジャズ・エイジの狂騒の残り香のある1930年代のボストンに渡り、そこで「東アジアから来たシンデレラ・ボーイ」になったわけですね。

天才作曲家 大澤壽人

天才作曲家 大澤壽人