2014-10-02から1日間の記事一覧

シュトゥッケンシュミット、朝比奈・大栗を評す(1956年)

現場百回、久々にこの話題へ戻って来ました。今回は、作品そのもの、演奏そのものではなく、音楽家と批評の関係がわたくしの関心事。ちょっとだけ従来よりも視界が広がっております。作業は慎重に一歩ずつ進むのだ。朝比奈隆のベルリン・フィル演奏会の現地…

1958年のO氏と2014年のO氏

作曲家の発言関西楽団[楽壇、の誤記か?]でもつとも停滞気味の作曲活動が、そろそろ永い眠りからさめて活発に動きかけている。この時期に当つて、本紙は二人の作曲家の意見を聞いてみることにした。モーツァルトこそ私の師 大栗裕メシアンの「トゥランガリラ…

「配役に不満あり」

規則と実態の関係を「合う/合わない」という基準で判定していいのかどうか、そこがまずちょっと気になるけれど、とりあえず、規則と実態を関係づける昭和の有力な手法が「役割を演じる」というものだったのではないか。地位が人を作る、とか、最近でいうと…