2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

言語と現実

問題を対象化する言語能力に長けているにもかかわらず、その言葉が宙づりの状態に耐えねばならないのは、その地位の存廃を文化(表象?象徴?)の問題と切り離した制度の問題として語るには、まだ機が熟していない、という状況があるからだろう。そしてそれ…

オペラの字幕とアンチ音声中心主義

びわ湖ホールのドン・キホーテは演出家自身が字幕台本を作って、それを投影していたが、会話のシーンで、しばしば、 「人物Aの台詞」 「人物Bの台詞」 と、まとめて2行出すようになっていて、あれはリズムが悪い、と思った。先のブリテン「真夏の夜の夢」の…

ダブルキャスト/2日公演

びわ湖ホールのドン・キホーテは、2日目のキャストが細かいところまで演出の設定をよくこなしていましたね。(その分、この演出プランの弱いところも見えた気がする。2日目を逃したのは、皆さんのお目当てだったのであろう若手演出家さんをどう評価するか、…

カトリックの海洋帝国とダンス/リズム至上主義

スポーツの祭典の開幕に映画監督が最新のプロジェクション・マッピングとともにサンバをフィーチャーしたのを見て、ここぞとばかりに、南半球の「もうひとつのアメリカ」が、いかに北半球の合州国と違っているか、世界の音楽はかように複数であるのだぞ、と…

diastema と ambitus

diastema は歯と歯の間隔の意味なので、複数形の diastemata は歯形、ambitus は動く範囲、領域、というような意味で、どちらも音楽に関してはグレゴリオ聖歌などの単声旋律のモードを論じるのに重宝される言葉のようだが(単声旋律の動きのどこに半音があり…

「さん」付け

NHKのアナウンサーが実況中継でその場にいる人物をすべて「さん」付けするのは止めた方が良いんじゃないか。客観記述には敬称を付けない、という書き言葉の慣習(日本語だけでなく、ほぼ世界標準だろう)との乖離が激しすぎる。

芸術とは

アニメは「文学に勝るとも劣らない表現手段であり、多大な影響力をもつ芸術」なのだとか。これもまた雑駁な……。芸術新潮のこの件についての見解は?[追記]こういう発言を大手出版社から引き出して、それで溜飲を下げる、というのは、いったいどういう集団な…

「戦国武将に学ぶ経営術」の起源

「戦国武将に学ぶ経営術」、ビジネスマンが信長・秀吉・家康のホトトギスの川柳に会社経営をなぞらえる、というような歴史との接し方は、どこに起源があるのだろう。プレジデントを創刊号から順に見て、日本初の海外との提携ビジネス情報誌がどのように「戦…

芸術新潮のジェンダー

創刊号から40年分にざっと目を通して、自分なりの感想をまとめたところで、ふと、ウィキペディアの「芸術新潮」の項目を読んでみた。判型は、創刊時の四六判(A5判をこう呼ぶらしい)から1961年にB5判、1981年にA4判に変わるのだが、この記事では前者に言及…

テレビと芸術

1980年代の芸術新潮にパク・ナムジュンのビデオ・アートを紹介する記事があるのだが、これは、この雑誌が久々にテレビに接近した瞬間だと思う。創刊当初は放送に着目して、まずはラジオを毎号論じて、テレビも開局から10年くらいはフォローしている。1970年…

1980年のリヒャルト・シュトラウス

芸術新潮がB5判だった最後の年1980年の「オーディオ」コーナーに柴田南雄が毎回見開きのコラムを書いている。アリランの歌、沖縄民謡などワールドミュージックの先駆けなのかもしれない新譜レコードや、伊勢神宮の御神楽を見学した記事など、彼の当時の関心…

1980年の糸井重里の知名度

芸術新潮1980年11月号が「アートとしての広告」ということで糸井重里のインタビューを取っている。この人が西武の広告を手がけるのはもう少し後(「おいしい生活」は1983年)で、NHKでテレビの司会をするのも1982年からだけれど、1980年には、既に知る人ぞ知…

80年代の世代論とマッチョの正体

芸術新潮1985年1月号は「われら昭和世代の美感」という特集を打ち、38人に執筆させている。東野芳明のような同誌の常連もいるが、辻井喬、澁澤龍彦、吉田喜重、池田満寿夫、横尾忠則、赤瀬川原平、唐十郎といった普段は取材されるだけのスターたちがいて、中…

「世紀末音楽研究所」と芸術新潮

1980年代の芸術新潮を眺めていると、西村朗と吉松隆のことが思い浮かぶ。この人たちは、理屈や主義主張で何かをやったというよりも、こういう時代を前提にしていたんだろうなあと思う。

ライブの一回性はマスメディアの正社員に嫌われる

芸術新潮は1980年代になって「音楽」を取り扱わない路線で安定走行しており、平成に入った1990年も事態は変化していないので、ここで一旦打ち切ることにする。(雑誌として見ても、1985年10月号のウィーン世紀末特集で池内紀が書いたり、1988年9月号のオリン…