2016-09-20から1日間の記事一覧

公共施設職員に媚びる「人文」の危うさ

「「ブラタモリ」見ても、今まで二流のインテリとされていた学芸員のような人たちが生き生きしているじゃないですか」という風な放言を見かけたのだが、館長(新書を出しちゃうような)を含めて、図書館・美術館・公共ホール等の職員のなかで司書・学芸員の…

アートの意義

承前。おそらく学歴エリートのなかで「勘の良い者」の割合はせいぜい2割くらいだろう。そしてこの割合は、世間一般とほぼ同じではないかと思う。勉学は、勘の良い者を選抜するシステムではないからだ。頭がいい人は勘も良いだろう、という風に世間が短期的に…

拡張された無抵抗主義

山の常連さんたちについては、次第にいいのが集まってきた。cpがせっかく二桁なのに20以上だったりすると、煩悩を捨てきれないのは何と憐れなことであろうか、と思ってしまう。我が家の近所では、最近小さいアオムシが妙に強くて、cp10がなかなか出ない。[追…

耳が悪い=勘が悪い

「音程を聴く」というのは、聴覚を研ぎ澄ます、というより、聞こえを遊び(ゲーム?)が活性化するような仕方で(ときには視覚的・図像的であったり言語的であったりするような)記号と結びつける方法のことであって、その意味では、「耳が良い/悪い」と言…

ゲームの経済/経済の遊び

この島では「ゲーム理論」が舶来の新しい金儲けの方法として利用されて、経済に遊びがない、というようなことは言えるのかもしれない。広い空間(拡張現実のモンスターを追いかける遊びに興じて「モンスター化」していると周囲から見られつつある人々が群れ…

賭け事・遊興

東浩紀が「ゲーム的」と言いだしたときにビデオゲームのことのみを想定してたわけではなかったはずだし、それ以前に囲碁・将棋・麻雀・パチンコに日本の知識人が(それを何と呼ぶかはともかく)一切の関心を払わなかったわけではないような気がする。日本の…