2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

Sea (es e a) の解釈

小野光子は、「海(Sea)の主題」をパントナリティとして解釈、説明するけれど、es e の半音から3度で飛ぶのは、モードとしては、同時に、抽象化され超現実化された都節なんじゃないだろうか?

80年代国際アート市場のしくみ

武満徹評伝を最後まで読んだ。ショットと契約した80年以後の武満徹の仕事の広がりは尋常ではなく、入院する直前の1994年は働き過ぎに見える。評伝には、7月に「精霊の庭」を東京で初演した2日語に札幌のPMFにレジデント・コンポーザーとして参加した、とある…

「ブーレーズ・コンダクツ・タケミツ」の謎

「鳥は星形の庭に降りる」は、小澤征爾の後任のエド・デ・ワールトがサンフランシスコ響で初演したそうだが、ワールトはたしか小澤と同じ頃バーンスタインの副指揮者だったから、いわば「身内」で、その頃ヒューエル・タークイもサンフランシスコにいたらし…

日本ショット社と東京コンサーツ

小野光子の武満徹評伝の1980年代を扱う第5章は、武満が1980年に日本ショット社(ショット・ミュージック株式会社)と契約した、という記述ではじまる。マインツのショット社が日本法人を設立したのは1977年だが、設立直後にショット社側からアプローチがあっ…

万博が「芸術で食べていける」時代をもたらした

小野光子の武満徹評伝は、武満徹が作曲家になるまでが第1章、「弦楽のレクイエム」までが第2章。そして第3章は1970年の万博で終わる。「作風」で武満徹を語るときに言われてきた「カトレーン」等の1970年代半ばの脱前衛化で章が切れてはいない。1970年代を語…

武満徹のサクセス・ストーリーの読み方

例によって小野光子ははっきり書いていないけれど、バラバラに提示された証言を組み合わせると、こういうことだったように思える。 ストラヴィンスキーの1959年の来日は大阪国際フェスティバル(朝日新聞社)の招聘だが、ロバート・クラフトが同行し、ターク…

「本論文は」という無生物主語

真田丸総集編を少しずつみて、上手に編集するものだなあと感心するが、考えてみれば、ドラマ本編がストレートプレイ風の小さなシーンを有働さんの語りでつなぐ形式だから、語りによるつなぎをちゃんとやれば再編集しやすいのかもしれない。ストレートプレイ…

劇場指揮者は声に手で触れる - プラトニズムとエロティシズムの差異

どのヴァージョンからなのかわからないが、iPhone の画面読み上げ機能が強化されていることを知る。画面上の文字を読み上げる手順が今はずいぶん簡単になっている。画面をタッチして次々読み上げているうちに、三輪眞弘の声のプラトニズムの件と、タッチパネ…

編著という背徳

ここ数日で、自分の書いた文章を少しと他人の書いた文章をたくさん読んで添削した。(全国的に大学というところは今そういう季節であるようだ。)添削には、ツボを押す整体・マッサージに似た勘所があるようですね。あるポイントをしかるべきやり方で突くと…

平和に向けて

3週間ごくろうさまでした。これからは普段着で静かに暮らしてください。 ということで、カメやカエルのcpを限界まで下げることに専念する。人騒がせな害虫を被害が大きくならないうちに駆除するような感覚である。

対話と問答と黙読と自問自答

ソネットに特徴的な問答形式が、キリスト教のカテキズム教理問答における問いと答えの関係を踏まえながらそこからズレていく、という阿部公彦の解説は興味深いのだけれど、「問答形式はキリスト教会以外でも様々な場にみられ、その古いよく知られた例がギリ…

「古都」以前の大和国

著者は、第一次世界大戦100年の2014年に応仁の乱を書こうと考えたそうだ。「大戦争」が現代=20世紀への大転換だったという神話的な議論の再検討は、モダンvsポストモダン/近代論と脱近代論の争いという20世紀的なゲームの底を抜いてしまう可能性があるのだ…

生放送

会場は、例によってこの指揮者が鋭利なアクセントと息苦しい煽りを地雷のようにあちこちに仕込んで爆発させるのを結構喜んでいるように見える。しめやかな新春番組っぽくないこの連続爆弾パフォーマンスがどういう文脈で受けているのか、テレビだとよくわか…