システムの隙間にゆらめく幻

twitterへの投稿は、プライベートモードにしないかぎり、twitter非利用者から丸見えなわけだが、インターネット上のコミュニケーションに慣れていない人はこのことに気づきにくいようだ。

「それくらい気づけよ」というハードボイルドな思想で設計されたしくみなのだと思うけれど、気づかない人は気づかないし、そのあたりのリテラシーの差が、いずれ(また)問題を引き起こすだろうと思うな。

自分の発言が丸見えであることに気づいていない人たちの発言を、悪意はないのかもしれないけれど結果的に自分の都合が良いように「利用」した形になってしまっている事例は、めちゃくちゃ危ういと思う。

「システムの隙間は、自分に有利なように利用していい」とか、「よくわからないけれど、とりあえず、今は自分にとってメリットがあるからこのままでいこう」という考え方は、間違いではないけれど、惰性でそんな風にしてると甘えや油断につながりやすい。

システムの隙間に発生する幻のような安心感は、いわゆる「草の根や周辺にこそ、新しい文化の芽がある」というのとは違う。一過性のものが、いかにも一過性以上のものにはなりえない状態で、「つかのま」然としてゆらめいているに過ぎないと思う。

だって実体がないんだもん。

そんな感じの使い方しか残ってないというのは、ツールの鮮度とアクチュアリティが落ちてるんだろうと思う。