「現実にそぐわないことはわかっているけれど、理念としてはそれを守り続けたいから文言は変えてくれるな。」
それなりの地位と実績がある人にそういう風に真顔でいわれたら、まあ、いちおう顔を立てて、それでいけるとこまでいきましょうか、ということになる。
ただしそうなると、文言の解釈は、相当アクロバティックなことになるが、そこは我慢してもらわないとしゃあないわけで、当然、そこは折り込み済みで言ってるんだろう、と、まあ普通は思いますわ。
で、かなり苦労しながらやりくりして、あっちこっちに頭下げながら、どうにかこれで決着しそうかな、と思っていると、
今度は、「それじゃあ、言ってることとやってることが食い違ってる」と文句を言い始めたよ。
いや、だから、そうなるけどいいんですね、って最初に確認したやないですか(笑)。
だったら、もう待ったなしで文言を変えることになるけど、ええんですね。ここで文句言うても、もう通りませんよ。
あと、これからは、ひとつずつ全部言質を取りながら話を進めさせてもらいますよ。それを情がないとか、官僚的やと言われても、そこまで物事を追い込んだのはあんたのほうやからね。
(……と口では言うけど、通常、そういう風に筋の通らん横車を押すのはおじいちゃんとか、おばあちゃんなので、生きてる間は夢を見ておいてもらうのが敬老精神というものやろう、くらいのことは、若い者も心得てると思うけどね。
おじいちゃん、おばあちゃんのほうも、物のわかった中年の顔役みたいのが間に入って、
「まあ、あんたの言い分もわかるけど、ここはひとつ、ワシの顔を立てて」
と言ってくれるのを期待してたりするのかもしれないしね。
実際は、いつまでもそれでは済まないことがあったりするわけだが、ここまで来ると、無事に済むか、済まないか。あとは、時の運やろうね。言葉の上でもめてるうちは、どっちにしても、まだ随分と平和なことですわ。)