政治的に正しいオペラ史のために

オペラの運命―十九世紀を魅了した「一夜の夢」 (中公新書)

オペラの運命―十九世紀を魅了した「一夜の夢」 (中公新書)

4月から、授業で学生さんと岡田暁生『オペラの運命』を読んでいるのだが、著者は中公新書の想定読者を中高年のオッサンに設定していると思われ、ときどき困ったことが起きる。

この本は、まるで男性週刊誌みたいにエロ解禁なんですよね。
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モーツァルトのオペラ・ブッファの章では、のちの『恋愛哲学者モーツァルト』に発展するロココの倒錯的性愛、モーツァルトとカサノヴァとサド侯爵という話が出てくる。

SMのSはサド侯爵のこと、Mは19世紀のオーストリアの作家マゾッホのことで、文学的想像力に端を発する話なのです、と一応説明するにしても、そこから演習の話題が広がるとも思えず、

モーツァルトに倒錯・退廃を見るのは、決して恣意的ではないにしても、著者がリヒャルト・シュトラウスと19世紀末音楽の専門家で、ロココに思いを馳せるオペラ「ばらの騎士」を研究した人だからこそだと考えてはどうか、と言っておいた。

つまり、19世紀末の耽美・デカダンのフィルターを通してモーツァルトを眺めると、清潔健全ではない「闇」がくっきり浮かび上がってしまう。あとの時代から過去を振り返る「偏光レンズ」で音楽家のイメージが変遷することがある。著者は、無色透明中立に語るのとは違う態度でこの本を書いており、ここは、その姿勢が色濃くあらわれている箇所なのだ、とマーキングして取扱注意にしておくほうがいいようだ。

[追記:マゾッホはオーストリアといってもレンベルク(現リヴィウ)の人みたい。「サディズムはご主人様が理性を行使して、その仮借なき結末に快楽を覚えることであり、貴族社会の末期、啓蒙時代の鬼っ子である。一方、マゾヒズムは契約により相手を絡め取って訓育して、その結末が己に降りかかってくることに喜びを見いだす。これは市民社会が成熟・爛熟しないと出てこない。両者はまったく別物で、サディストはマゾヒストに唯々諾々と訓育されないだろうし、マゾヒストと契約を結ぶことはないだろう」がドゥルーズの説、で合ってましたっけ。]

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次にグランド・オペラ全盛のパリ・オペラ座の成金趣味を語る文脈では、踊り子の売春の話題が出る。

本文では、そういうことがあったのだ、と平然と書いて、フォローなしに放置される。

オッサン相手の講演会だったら、「バブル全盛の頃には中年男性対象の東南アジア・ツアーが人気でしたよね、成金というのはいつの時代でもそういうものです」とたたみ掛けて苦笑を誘うことができるかもしれないが、学校でいきなり話題にするのは辛い箇所である。

バレエとダンスの歴史―欧米劇場舞踊史

バレエとダンスの歴史―欧米劇場舞踊史

鈴木晶『バレエとダンスの歴史』では、19世紀のバレエ・カンパニーのプリンシパルとコール・ド・バレエの踊り子の間に厳然たる身分の差があったことが指摘されている。プリンシパルは座長や振り付け師、劇場関係者の家族・親戚など、いわば「身元の確かな」しかるべき素性・家系の者で占められ、下層の出身者で頭数をそろえるコール・ド・バレエからプリンシパルに昇格することはなかったらしい。(どこかしら梨園を連想させる。)

踊り子の売春は、仮に本当にそれが常態化していたとしたら、おそらく、このような身分制度が前提だったのだろう。貴族やブルジョワが下層の女を弄んだわけだ。

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こうした「社会の暗部」を劇場があからさまに認めることはなかったが、下層の女性の売春に話を広げると、同時代の小説の題材にはなっているし、ヴェルディがデュマ・フィスの新聞小説をもとにドゥミ・モンドを主役にしたり(ただしパリ・オペラ座ではなくイタリアの劇場の出し物で、なおかつ時代を7月政権のパリから他へ置き換えている)、プッチーニの「ボエーム」におけるお針子もミミという源氏名で呼ばれて、「予備軍」であることが暗示されている(ロドルフォと別れたあとは実際に貴族に囲われることになっているし……)。

ひょっとすると、イタリア人だから「パリの闇」を舞台にのせることができたのかもしれないし、そうだとしても、これはあくまでパリの時代風俗という扱いで、劇場内の売春があからさまに描かれているわけではない。

一方、「トスカ」におけるスカルピアの奸計は、酷いことだけれども、あり得ない荒唐無稽ではないからこそオペラをストレート・プレイに近づける試みと見られ得たわけで、歌姫がそういう危険に晒されうる「水商売」だ、という通念は、果たして、物語の設定であるフランス革命期のローマの歴史の実態を踏まえているのか、それとも、「劇場の女」についての当時の一般的なイメージだったのか……。

で、こうしたブルジョワ社会が「昨日の世界」としてひとまず清算された第一次世界大戦後になってようやく、ベルクの「ルル」に、劇場の舞台裏を暴露するかのような場面が出る。

結局、「踊り子の売春」が19世紀パリにあったのか、なかったのか、あったとしてそれがどのような社会の力学のなかで生じていたのか、オペラの舞台を眺めるだけでは真相は闇の中だ。

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劇場における女性の地位というテーマは、オペラやバレエの「時代背景」というだけでなく、作品に直接・間接に映り込んでしまう事柄として、真摯に受け止めていかざるを得ないでしょうね。

サントリー学芸賞を得た2000年代の売れ筋の新書は、残念ながら、こういう論点について、おそらく当時の水準で考えたとしても、確信犯気味に無防備だと言わざるを得ないように思う。

Traviata [DVD] [Import]

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夏のびわ湖ホールのアカデミーで、コンヴィチュニーはいよいよこの作品を取り上げる。