真面目の解剖:serious music と E-Musik

ドイツで教養主義と大衆化がせめぎ合っていた19世紀後半に、「真面目な音楽 E[rnste]-Musik」と「娯楽音楽 U[nterhaltungs]-Musik」の区別というのが言い出されるようになった。そして、おそらくこれを拡張して継承しようということだと思うが、いわゆる「現代音楽」、20世紀の前衛音楽・実験音楽がシリアス・ミュージックと言い換えられることがある。(たとえば長木誠司さんは、20世紀流の教養と問題群を背負った運動としてのシリアス・ミュージック、というのを考えていらっしゃるように見える。だから当然、インテリジェンスが問われざるを得ないのだ、と。)

「作曲家よ、真面目にやれ!」と野次るときの「真面目」は、このような諸概念の広がりのどのあたりを想定しているのだろうか?

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ひとまず、英語の serious は、ドイツ語の ernst (正直で裏がない、というような語感)とはちょっとニュアンスが違うように思える。

serious の周辺には、たとえばイタリア語の seria というオペラのジャンル概念があり、ベートーヴェンには serioso と形容される弦楽四重奏曲がある。serious には、やや儀式張った厳粛さのニュアンスがつきまとう。serious music は「お遊びじゃない」、儀式性を帯びている、という感じだろうか。(この方向を強調すると、日本語の雅俗の区別、俗楽に対するものとしての雅楽に相当するのが西洋の serious music だ、と考えることができるかもしれない。「音楽取調掛」におあつらえ向きの考え方だし、西村朗のアジアは、なるほど serious な表情を崩さない。アジアの仮面の裏に「素顔」と呼べる何かがあるような気もするが……。)

一方、英語には serious の類語に severe (いわゆるシビアですね)というのがある。

この2つは、なかなか使い分けが微妙らしいが、どうやら、ラテン語に遡ると、serius は severus (重い)から派生したのではないかと説明されるようで、もとから、重い・重々しい・重大、といったあたりの状態を指す類語であったようだ。ドイツ語だと、seriös を外来語的に使うこともあるけれど、schwer の語が、serious(重大)と severe(深刻)両方の意味をカヴァーしている。

で、川島素晴の作風が serious か、と言われると、なるほどちょっと違うかもしれないが、この人は、おそらく作曲に対して「シビア」(←日本語の雑駁なカタカナ語としての)ではあるだろう。(「捻りすぎ」の評が出るのは、そのせいだろう。)

でも、それじゃあドイツ語で schwer (重い)と言えるかというと、それは難しそうだ。

そして技法的な捻りが効いていたとしても ernst と形容することはできるんじゃないかと思う。

だって、E-Musik/U-Musik の区別で言えば、ハイドンの弦楽四重奏曲は、schwer ではなく、奇策と愉楽に満ちているけれど、間違いなく E-Musik だもん。

「マジメ」にもいろんなマジメがある。

(そしてさらに、ドイツの ernst な「文化」に対抗するフランスの「文明」(あれは serious と形容するのが適切なのかどうなのか)とか言い出さないと、サン=サーンスの居場所が見つからないかもしれないので、世の中はさらにややこしい。)