等速直線オペラ

兵庫県立芸文センターの年1回のオペラが着実に経験を積んでいるような気がする。

[日曜に行く予定が諸事情で不可能になり、結局、同じ組の水曜23日の公演に行きました。]

外国の見た目も美しく完成度の高いプロダクションが、カーセンのキャンディードのときは、まだいかにも「よそのプロダクションがこの劇場に引っ越し・巡回してきた」感じだったけれど、今回は、板について、場になじんでいるように思えた。

そして去年は、オペラ・ブッファはレチタティーヴォでこそ芝居をきっちりやるものなのだ、というのを日本語訳詞のセヴィリアの理髪師でオケ・歌い手にもお客さんにも印象づけて、今年はいよいよ、原語で人間模様の綾を複雑に演じないといけない「コジ」を原語でやって、ちゃんとお客さんもついてきた。

阪急沿線の劇場だからといって、宝塚テイストのオペレッタだけじゃないよ(実はそれ2回しかやってないし!)という感じに、着々と劇場が成長している。

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レチタティーヴォでしっかりお芝居をする、ということで言えば、今回は、レチタティーヴォでしっかり時間を取って演じ、なおかつ、アリアでも物語が2、3の鍵になる曲を除けば物語が止まらないので、ほぼいつも一定の速度で芝居が進む状態になっていた。お約束めいたメリハリがない、とも言えるが、芝居をちゃんとやる、という趣旨が隅々まで徹底していたということじゃないかと思う。

(国語の時間に、テクストを前から1行ずつ順番に音読しているような真面目さが支配することにはなるけれど、着実に物事が進んでいくので退屈ではない。これを観て退屈しちゃう人は、瞬間芸的なものが連続する刺激の強いエンターテインメントや野田秀樹以後の小劇場とか、そういうのに毒されすぎかもしれない(笑)。

佐渡裕は十数年前の大阪国際フェスティバルで、宮本亜門演出のコンサート形式のコジというのを既にやっているが(オケはセンチュリーだったかな、浜辺のパラソルで水着に着替えて日焼けクリームを塗って寝そべる謎の美女とか出てきた、黒田博も出てましたね)、でも今度はコンセプトが全然違う。関西二期会で修行した頃のモーツァルトってどういうのだったっけ、とか、初心に返ってまっさらのところから勉強し直そうとしている感じを受けた。)

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デスピーナは、雇い主の姉妹から最初のうち「子供」とか言われちゃいますが、実際、特に第1幕での彼女は、別に深い考えがあって動いている感じじゃなく、普通のオペラ・ブッファ(ほとんどコメディア・デラルテ)の世界の住人、啓蒙も何もされてない庶民が天然に言いたいこと言って、やりたいことやってるだけ、みたいな感じですね。そしてそこに、貞淑(なはず)の姉妹が次第に巻き込まれていく。

先を読んで伏線を張ったり、大がかりな「解釈」が全体を貫いていたりするのではなく、音楽と台詞を着実に順番にたどっていく感じの舞台だったので、一歩ずつ物事が進んでいく様子がよくわかったように思います。

と同時に、オケ伴奏の人物の心の中をのぞき込むようなレチタティーヴォもたくさんあって、結局この話は、本来当事者たちだけしか知らない密室で起きたあんなことやこんなことをのぞき見してるような感覚で作られているのかもしれないと思った。まあ、いってみればスワッピングの話ですもんね……。

で、スワッピングだ、と要約してしまうと、「まあ、なんてこと」と目を背けられちゃうわけだけれども、物事が一歩ずつ進んでいくその過程は、そう簡単に茶化したりできるもんじゃないんだよ、ということを、ドキュメンタリーとか実験室の観察日記のように、ワンステップずつ確認する。(メスメルの磁石とか、そういう瞬間芸的なギャグはさらっと軽く扱う程度。)

「Cosi fan tutte」と男たちが声を合わせるところまでは、ということは、物事が行き着くところまで行って、あとはどうオチをつけるか、という直前のところまでは、ほぼ完璧だったような気がします。

男たちの合唱に、間髪入れずに次のデスピーナが入ってきた(=そうだそうだ、オンナってのはそんなもんだ!みたいな観客の拍手が入るのを断固拒否した)のが、「現在の感覚では、そのようなオトコ目線を容認することはできません」という政治的に正しい介入なのか、あくまで、物語の中の次のステップ(「あの姉妹が舞い上がって結婚なんてことまで言い出しちゃったわよ!」と慌ててデスピーナが言いに来た、という体)なのか、続くフィナーレの女性2人の描き方とあわせて、そこだけは、ちょっとよくわからなかった。

(そこのところがはっきりしないと、デスピーナが実は賢い狂言回し(ポリティカル・コレクトネスやフェミニズムまで装備していそうな「意識の高さ」!)なのか、王様は裸だ、と普通に言えちゃうという意味での「子供」が走り回ってたらこうなった、なのか(つまりはパパゲーノの先駆けみたいな存在なのか)、わかりにくくなっちゃいますね。)

でも、ともかく普通に見える演出を普通にちゃんとやるクオリティはすごく高い。