承前:三輪眞弘と字幕

三輪眞弘さんが自作に字幕を出すのを拒否したのは、ひょっとすると、彼がオペラやコンサートに「字幕投影装置」などという無粋な機械が導入される前を知っている世代だということも、案外、効いているかもしれない。(1970年代のオペラやコンサートに「字幕」は存在しておりません。)

「ホールオペラ」という言葉を発明したとされるサントリーの財団が次に三輪さんに作品を委嘱するとしたら、ニッポンのオペラの現在を考えるひとつの問題提起として、「字幕投影装置」が主役、プリマドンナとして大活躍する作品を書きませんか、と提案してみてはどうだろう? きっと何か考えてくれると思うのだけれど。

機械を操作するオペレーターさんも、せっかくだから、たまには舞台に上がってもらいませんか?

オペラが「物語」に拘束されるのは前時代的だ、という三輪さんの思想は、私には承服できないし(数十分や数時間の長い持続を構成するときに「ストーリー」は心強い味方になってくれるはずで、潔癖に敵対しつづけるのは勿体ない気がします)、そのあたりを突き詰めるきっかけにもなると思うのだけれど。