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http://wind.ap.teacup.com/lzfelt/2296.html

バンドジャーナルが「指導者をターゲットにして創刊された」という言い方は、1980年代以後との違いを強調して、スクールバンドの生徒自身が読むことを(まだほとんど)意識していないように見える、という意味で、バンド指導者は、創刊の段階から既に単なる読者ではなく、書き手でもありますから、その意味では、こういう雑誌ができたこと自体が既に「民主化」の重要な一歩だったかもしれないですね。(私は戦前戦中の先行雑誌を見ていないので、戦前戦中との比較はできませんが。)

で、その頃のバンドジャーナルはコンクールの事前情報を、ほとんど「自粛」という感じで扱わなかったようで(私が当たった図書館はこの時期の欠号が多く、見ることのできたものからの推測ですけれど)、これは、そういう風にバンドの当事者の間で流通する雑誌だからこそ、事前にお互いの手の内を明かす「出来レース」になってしまったり、雑誌を読んでいる人たちだけが有利になってしまったりしないように配慮していた印象ですね。

バンド関係者の多くが学校の先生でもありますし、コンクールで審査をしたり、審査を受けたりする当事者が、事前に情報交換してしまったら「公正な競技」にならないんじゃないか、という風な配慮で雑誌が編集・運営されていたように見えます。

でも、(具体的にこの件を追いかけてはいませんが)どこかで雑誌におけるコンクールの位置づけが転換して、雑誌がコンクールを事前・事後に積極的に盛り上げる方針に変わって、今日に至っているようです。