朝比奈隆の演奏に対する欧州での批評を順番に読むと、どうやらやはり、最初のベルリン・フィルのときにDie Weltにでたシュトゥッケンシュミットの評は抜群に優れていて、あれを前にすると他は色あせますね。
(なんだか、大久保賢の才能信仰めいた物言いになってしまうが。)
[オルテガとか、何言ってやがんでぇって感じだぜ。彼の場合、読めたものを語るんじゃなくて、多分一生読めやしないし手が届かないだろうものだけを語る、というのが人生のルールみたいだね。どこまで身長を伸ばしたいんだか……。]
ドイツ語圏の音楽批評史は、19世紀中葉にハンスリックがいて、世紀末は誰なんでしょう、誰かがいて、20世紀前半に岡田暁生が大好きなパウル・ベッカーがいて、第二次大戦後はシュトゥッケンシュミットなんですかね、やっぱり。
で、彼がTHの教授を辞めたあとに来たのがダールハウスですよね。
新しいMGGを開いてみたら、Hans Heinz Stuckenschmidtの項目はあっけないほど短くて、Carl Dahlhausの項目はその5倍くらいの分量があった。ただしその2/3はひたすら著作の書誌で、こうしてリストアップされてみると、あのクオリティであの執筆量はちょっと異常だったんだなと思う。(結構同じネタの使い回しが多いが。)
日本の近代文学は帝大生がはじめたようなものだし、吉田秀和や柴田南雄が出てきたので、まあ、音楽もこんなものか、旧制高校のハイカルチャーだよなって感じがしますけど、1908年生まれの朝比奈隆がオーケストラの指揮者になるのって、当時としてはめちゃくちゃ異例に高学歴ですよね。(京都帝大へ来たメッテルが、ロシアでもドイツでも、音楽ってのはそんなもんだからどんどんやれ、とけしかけたようですが。)
上海やハルビンへ行って、音楽家としての能力に秀でた人間に会うことはできたでしょうけど、やっぱりベルリンへ行って、シュトゥッケンシュミットに真っ向から聴かれ書かれたのは、音楽の世界もバカばっかりじゃないんだ、とようやく実感できる大きな体験だったんじゃないだろうか。
ものすごく嫌みに聞こえるかもしれない言い方だけれど。
パルジファルに向けて、なんとなくドイツ教養主義再訪な気分なのでございます。さすがにこの歳になれば、青臭く飲み込まれちゃうことなく考え直すことができるんじゃないかな、ということで。
高温多湿なアジア楽壇のあれこれは、しばらく放置じゃ、勝手にやっとれ(笑)。