トリルを弾く身体

モダン・ピアノのダブルエスケープメントというと直接的には高速同音連打を可能にする機構なわけだが、実際の音楽でこれが一番効き目があるのはトリルなんじゃないか、というのがピアノを弾く人間の実感であるようだ。

トリルは指先の運動と機械としてのピアノが一体となって実現する。

共有弦のあるクラヴィコードでは高速トリルが不可能な音がある、というところからはじまって、最新のピアノを入手した晩年のベートーヴェンは、最後のソナタでこれでもかと永遠に続くトリルを書いたわけですね。そしてリストには両手で強烈に叩き出すトリルがある。

まるで岩盤を掘削するようにトリルが耳に食い込んでくるとき、音楽は「人文」のバリアを食い破っているのかもしれない。

演奏する身体という話は、こういうのを含みますね。

[……ってな感じに、それなりに面白そうなことを思いつくだけでいいんだったら簡単で、そういうのが次から次へと出てくる状態にモノをたくさん蓄えておかないと、射程の長い人類学ははじまらないと思うな。そうして全体を見渡すと、本当に有望な筋とそうでないのが見えてくる。果てしない話になるが、蓄えなしに勝負をはじめると、どうしても貧乏くさくなる。]