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(モダン演奏のときと同じ語法で次から次へと「若き才能」なるものを青田買いして、結局はモノにならない、というのを繰り返すのが日本の古楽における「失われた20年」だったように思う。団体を作るくらいの力なしに、つまり、外見はささやかだけれども持続的な取り組みができるしくみを作ることなしに、ソロでちょっと気の利いたことをやるだけでは先が見えている。

珍しい植物の鉢植えをひとつだけもってきても、そのうち枯れます。古楽をそういう一時の彩りとして消費するのは虚しい。

「本質」や「真髄」が口癖の大先生は、そういうことにこそ苦言を呈すべきではないだろうか。)

サラリーマン時代に1番嫌いだった役員が自分の地位を確固たるものにする手法として、尖った優秀な若手を誰よりも早く「自分が見出した」と言う触れ込みで抜擢して出世させ牙を抜き飼い殺すというやり方をよく使っていた。 本質を理解した最初は熱い心を持った男達が小粒なまま膝を折る姿を多く見た。

ネット上にこういう文字列が流れていたりもするが……。「恐いよう、助けて、ママン!」