出版社の態度は「謹慎」なのか?

http://d.hatena.ne.jp/smasuda/20141125

リンク先で告知されているポピュラー音楽学会の佐村河内「事件」をめぐるワークショップ、なるものの趣旨説明の文章では、ワークショップの意義を2つ挙げている。

(A) 「現代社会におけるクラシック音楽は決して「社会と無関係な純粋芸術」ではない。」ではじまる段落

と、次の

(B) 「また本件は、「音楽の作者性」についても興味深い問いを投げかける。」ではじまる段落

です。

(A) アドルノは日本のアーツ・マネジメントの役に立つのか?

上記(A)は、

むしろこんにちのクラシック音楽産業は、西洋近代が作り出してきた自律的芸術のイデオロギーを、様々なかたちで流用し、利潤へと繋げている。いわば今回の事件はこの「純粋な芸術を売る」仕組みを浮き彫りにしたものとはいえまいか。

と続きますから、芸術とカネの問題なのだと思います。この文章を読むと、やっぱり今でもポピュラー音楽論はニュー・レフトの流れを汲む思考様式が強いんだなあと思わざるを得ませんが(「フランクフルト学派かよw」って感じがするよね)、はっきり言って、佐村河内の交響曲を演奏した広島や大阪や東京の交響楽団は、そんな立派な「文化産業」として「自律的芸術のイデオロギー」を「利潤へと繋げる」ことには成功していないっすよ。だから補助金や助成金をゲットできないかなあ、と奔走したり、非営利団体とか公益団体として優遇措置が得られるような団体構成にしているわけじゃないですか。この文章を書いた人は、ポピュラー音楽とクラシック音楽の事業規模や事業の内実の違いがわかっていない。

今回の件は、そうじゃなくて、通常のクラシック音楽団体の事業規模ではありえないような仕事の発注が外から来て、そこへ巻き込まれた形です。怪しいけれども断るほどではないか、というギリギリの線を突く発注だったから、話を受けたクラシック音楽団体が複数あったわけです。

[そして今回、クラシック系作曲家のなかで珍しく吉松隆が堂々と佐村河内擁護の論陣を張っているのは、Avexとマネジメント契約を結んだりして、業界では例外的に、ポピュラー系の事業体とのつきあいかたがわかっている人だからだと思います。そのあたりの、ポピュラー系とクラシック系の圧倒的な規模と温度の差を踏まえないと、今回の騒動は読み解けないと思います。]

それくらいの基本情報は、ちゃんと調査してから企画を立ち上げて欲しい。

アドルノやホルクハイマーの理論を神棚に祀っても、日本のオーケストラの現状は斬れません。それくらい気づけよバカって話だ。

(B) 出版社の態度は「謹慎」なのか?

そして次に(B)で、ここが致命的な問題を含んでいるように思います。

講談社や幻冬舎が自伝を引き上げたのは、「音楽の作者のスキャンダルに伴って作品を謹慎させる」動向の系譜に位置づけて考えることができるのでしょうか? むしろ、世間の近年のそのような謹慎ブームを利用して、「まんまとほおかむりして逃げた」と見る可能性は考慮しないでいいのでしょうか?

(新垣さんが優秀なフリーライターさんの助言とサポートを受ける形で「告白」したのは、出版社というところがどう動くかを熟知しているライターさんのアドヴァイスを受けて、どうすれば、このヌエのような業界から最良の形で「足を洗う」ことができるのか、本物の「事件」になる前に「手打ち」できるか、その可能性を探ったということだったんじゃないかと思うのですが、どうでしょう。)

そもそも、佐村河内のわらしべ長者的なキャリアアップのなかで、講談社から自伝が出た、というのは大きな大きな一歩でしょう。

これがあったから、オーケストラや音楽堂に売り込みがあったときに、コロっと騙される人が出てきたのかもしれない。

じゃあ、いったいなぜ自伝を出せたのか?

(このあたりこそ、「出版界に顔がきく」ということになっているらしい増田聡先生が、経験を踏まえて切り込むべきところでしょう。今やらないでいつやるの。)

そしてリンク先のワークショップの趣旨説明に対する疑問としては、平素からマスメディアの言説分析を大好物にしているポピュラー音楽学会が、どうして出版社の「とんずら」と見られかねない行動を黙認するのか、ということです。

(どうしてなの、増田先生!)

先に述べたように、クラシック音楽系の各種団体と、ゲーム音楽や放送関係のミュージシャンは、通常、ほぼ完全に没交渉だと思います。事業の規模や形態が違うし、扱っているマネジメント会社等々も違います。両者に「橋が架かった」のは、NHKと並んで、大手出版社のお墨付きが大きいと思う。

ちゃんとお金のことを調べてごらんなさい。

「西洋近代が作り出してきた自律的芸術のイデオロギーを、様々なかたちで流用し、利潤へと繋げている」というしくみが仮に今回成立したのだとして、その「利潤」は、たぶん、クラシック団体にはほとんど降りてきていないと思います。

コンサート収入のうちどれだけが「クラシック団体」に流れたか、CD売り上げの印税の分配はどうなっているか。

調べてから物を言ったほうがいいと思う。

(生々しい話なので「腕力」がないと難しいと思うけど、「アドルノを越えて」(←さっさとそんなの越えちゃえよって話だが(笑))、真相に迫る道はそこだろう。)

ポピュラー音楽学会は、研究上の必要があればいつでも出版社やゲーム会社やレコード会社と切り結ぶ覚悟を決めてワークショップをやるわけですよね。違うの?