- 作者: 谷口文和,中川克志,福田裕大
- 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
- 発売日: 2015/05/18
- メディア: 単行本
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「鼓膜が空気の振動を受け止める」という表象を得たところから現代へつながる音響文化が始まった、ということだと思うのだが、
リップスラーというのを教えてもらって、ああ、金管楽器というのは唇が声帯みたいなものなんだなあ、と思った。
ヴァージナルとチェンバロとフォルテピアノとモダン・ピアノは録音を聴くだけで区別できるようになる。
そしてナチュラル・トランペットと有健トランペットとバルブ・トランペット(あるいはピッコロ・トランペット)も、慣れたら録音でわかるらしい。
そういうのは、ソプラノサックスとアルトとテナーとバリトンの違いが聴いたらわかるのと同じなのか、別の話なのか……。
で、そういうのは鼓膜(受容装置)の側からアプローチしているのか、あるいは声帯(発振装置)の側からアプローチしていると言うべきなのか。
未来志向の「音響/聴覚文化」と、過去へ遡りがちな「声と音の儀礼」の数々が骨肉の争いにならない抜け道は、案外シンプルに見つかるのではないか、という気がしないでもない。
マスメディアとシュプレヒコールの化学反応は、物事をどんどんヒートアップして騒々しくすることで知られているわけだが、そういうことじゃないように思うのです。
(そしてついでに、語り(アニメ声系の発声はライヴの音楽劇とは合わないね)と音楽をどうすれば上手に組み合わせることができるか、お互いが邪魔し合って不快で落ち着かない喧噪を作り出してしまわない「朗読/音楽劇」のヴィジョンというのも、どこかで話がつながってくるのかもしれない。)
こういうの(私はそれほど良いとも画期的とも思わないが)を上演するときの「わざ」の数々と、マイクを通した朗読を生オケと組み合わせるときのそれは、さしあたり、まったくの別物として伝承されているので、そのときどきでしかるべき適切な筋道を通してアプローチしないと大失敗してしまう現実があるわけだが、現在の制度上のそうした「壁」は、法や掟というわけではないように思うのです。
- アーティスト: 冨田勲,大友直人,初音ミク,日本フィルハーモニー交響楽団
- 出版社/メーカー: 日本コロムビア
- 発売日: 2013/01/23
- メディア: CD
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強引な実力行使で「壁」を暴力的に破壊するのではないやり方が、きっとある。
性急に爆弾を投下しても、たぶん問題は解決しないと思う。
[しかし思い立ったその場でイーハトーヴを聴けちゃうのだから、Apple Music は便利ではある。]