パリと私、老人と青年

今月の京都新聞の批評(ブルガリア国立歌劇場のトゥーランドット)は14日夕刊、パリのことが大きく報じられている紙面に掲載されたようだ。

(あれが決行されたのは13日の金曜日だったんですね。)

日経ではコンセルトヘボウ(ユジャ・ワンがチャイコフスキーの2番の協奏曲を弾いた京都ではなく、翌日の兵庫芸文での公演)の批評を書いた。

指揮者がオーケストラに全部委ねたようなチャイコフスキーだと思ったのでそう書いたわけだが、ツアー後半の東京での公演については「精緻で素晴らしかった」というような感想を見かけるので、どうやら演奏を重ねて、オケが自前でどんどん演奏を整えて、指揮者が浮いてしまわないようにお膳立てできるようになって、ベスト・コンディションで東京公演が行われたのかな、という風に思える。

まあ、いいのだが、日本に着いた最初のほうの公演が「調整中」であることが客席に丸見えになってしまうというのは、これもまた、指揮者の経験の浅さ、なのだろうと思う。

(日本(東京?)の市場はとにかく若手と老人を喜ぶ、というのは、既に興行元に知れ渡っていたりするんじゃないのかなあ。)