ドラムスとパーカッション

西洋のオーケストラでは、歴史的な経緯からティンパニーはその他の打楽器とは違う役割が与えられている。20世紀のポピュラー音楽でドラムスがその他の打楽器と違った存在になっていくのは、なんとなく似ている、というだけでなく、何らかの具体的な関連づけが可能な予感がある。

(順接して何かが継承されたのではなく、逆接やねじれや反発を含んでいるだろうと思うけれど。そして20世紀に、ピアノという西洋近代を代表する楽器が打楽器化する、というか、打楽器とみなされていく=「打楽器視される」のとおそらく連動する動きだろうから、かなり大事なトピックなのだろうと思う。)

で、この話をするひとまわり大きな枠組として、

「そもそも打楽器って何なのか」

というのが、実は大問題だろうと思う。

オーケストラや、暗黙にオーケストラを前提にして組み立てられている疑いがある現行の楽器学・楽器分類では、「打楽器」なるものは、弦でも管でもない「その他」のニュアンスを引きずっていて、その思考法は、西洋ではない「その他」の意味でアジアなる語を使うのと似ている。

「打楽器」なる観念は、世界把握におけるアジアなる観念と似た働きをするところがあって、「その他」であるところの「打楽器/アジア」を中心へと反転させる可能性に萌えてしまうと、「中心と周縁」図式のワナが待ち受けているから、賢く取り扱わないといけない。

アジア主義に似た打楽器主義は、やっぱりちょっとマズいからね。