「星空の下の音楽會」

芸術新潮は、最初にグラビアページがあって、次に「芸術新潮」という各界の動静を伝える匿名記事があり(適宜人が入れ替わっているようだが専門の評論家・ライターが書いている印象)、そのあとに「ぴ・い・ぷ・る」というアーチスト本人のコメントを列挙する欄がある(昭和31年実験工房時代の武満徹がアプレゲールな口調で芸術祭に文句を言っていたりする)。

このいかにも週刊新潮やFOCUSの新潮社っぽいコーナーを見逃してはいけないようで、オーケストラの野外の「ポップスコンサート」のグラビアに、「日本版“星空の下の音楽會”」と書いてあったりする。

どうやら、ハリウッド・ボウルのオーケストラコンサートが「星空の下の音楽会」として有名だったらしく、それをふまえているようなのだが(1954年に渡米した吉田秀和もわざわざロサンゼルスでハリウッド・ボウルを見物に行って旅行記で報告している、その日は公演がなく建物をみただけのようだが)、1920年にオープンしたハリウッド・ボウルが、1956年の日本で、言わずもがな、な感じに知られていたのはどういう経緯なのだろう? 戦前戦中から知られていたのか、戦後占領時代にハリウッド・ボウルが人々の話題になる何かがあったのか?

(私は今はそこまで追いかけるつもりはないけれど、当該オーケストラのプログラムやチラシや批評・紹介記事を集中的に拾っていけば、たぶん手がかりはありそうですね。)

[「言質」は、「取られる」側の官僚目線のトレーニングと同時に、「取る」側のリサーチのトレーニングも大事だよね。全部あわせても100万程度の不正使用で、なおかつ法的責任を追及し得ない、というのは、そういうことをやる方もセコイが、それを重大な疑獄であるかのように騒ぐ方も、その程度のリサーチ能力で十分なのだと思っているとしたら、みみっちく情けないと思う。]