醜い鳥のドラマトゥルギー

自分が今まさにその場を立ち去ろうとするその瞬間に、どうだ、とばかりに狙い澄ましたマウンティング感満点の、でも実は偏見と自惚れにまみれた凡庸さに過ぎない悪口を捨台詞として投げ捨てて、見事に「後を濁す」。この賢く下品な鳥たちに天罰がくだりますように。

まあ、天にすがらなくても、生きている間に滅びそうだが。

他者を貶めないと自尊心を保つのが難しくなるのは、通常、滅亡の兆候としたものである。

家康が「北条はもう終わりだ」と天を仰ぐのはいい場面だが、駿府の城主がプライベートのアカウントで「北条オワッタwww」とツイートすると、たぶんドラマが中折れする。都知事の中折れとよく似ていたりするわけだが、それは結局、ドラマというメヂィアのリテラシーが不足しているのだと思う。

西洋古典を基礎にしているのが建前の美学史家なのにね。