佐藤卓己が、放送の発展時にはその教育機能に注目が集まっていたことを指摘しているが、ビデオゲームが(主に欧米で)さかんに論じられている文化的背景として、「遊戯と教育」というトポスがあったりはしないのだろうか。そして日本では、ビデオゲームが教育に傾くことを歓迎する力と、そういうのはダサいとする力が拮抗している、とか。ちょうど、音楽(歌謡)が放送局に後押しされることを歓迎する動き(ラジオ歌謡)と、そういうのをダサいとする力(レコード歌謡としてのジャズ・ロンク・演歌・歌謡曲)が昭和期に拮抗したように。
(吉田寛先生は、「レコード歌謡的なもの」を信奉する仲間たちに周囲をがっちり固められているなかでゲーム・遊戯の(広い意味での)教育・教養機能を語ろうとするから、まるで何かを人質に取られているかのように語りの文脈が捻れて、苦しかったりするんじゃないかと思えなくもない。)
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