「大英帝国2.0」の euphonia と性差

拡張現実がピンク色に染まるところまでは、日本産のキャラクターをこのように意味づける21世紀のオリエンタリズムが発現した(=ジャパニメーション/クール・ジャパンは21世紀のグローバル情報社会における新種のエロチシズムだよね)ということでいいとして、幸運という名のキャラクターがエプロン姿の幸福に進化するのを目の当たりにすると、euphonia という言葉が浮かぶ。多幸感と訳されるが、17世紀以後近代の医学・心理学によるギリシャ語めかした造語には、人為的な過剰の含意がありそうなので、「多幸」というより「過幸」かもしれない。

game と play が別の言葉であるアングロサクソン圏とは、事実上、旧大英帝国領なのだから、game play における rule の語は、彼らの大好きな「大英帝国の君が代」であるところの Rule Britanica の rule を背負っていそうですよね。

ハーフリアルが euphonia を指向する「リアリティ2.0」は、むしろ落日感と裏腹の「大英帝国 2.0」なんじゃないか。そしてそのような文脈におけるゲーム研究は、フランスとドイツのナショナリズムの表象を探究した者が、満を持して、大英国の表象に取り組むことだ、というのであればいいのだが、今はまだ、その種の言説は、探究なのか郷愁を伴う帰依・帰属(ハーフリアルな大英帝国2.0への)なのか、区別がつかない。

彼らには、まだこの課題における研究と帰依と郷愁(←学生時代の憧れの先輩に誉めてもらうことを無上の喜びと思うような)を分けるものが何なのか、はっきりつかめていなさそうな印象がある。

(マイナーであることと、メジャーに売れることのアンチノミーを引き受けろ、みたいな言い古されて当然すぎる格言を弄んでいるようでは、危なっかしいことこの上ない。)

[追記]

と書いてから一日経って、少し考えが変わった。多幸的なエプロン姿は♀の象徴なのかもしれませんね。年末年始に新世代をベイビーでシンボライズしたところからストーリーがつながっていそうだ。

旧世代にも性別が事後的に設定されたが、確認したら多角形のカクカクしたキャラクターだけ性別がない。

世界をピンク色に染め上げる先般のイベントで、この多角形と、のちにエプロンに進化することになるキャラクターの2つが大量に出現したのは、新世代の登場で性差を導入することへの誘導だったのかもしれませんね。

わたくしは、闘う意志をもたないので、相貌の好ましい種だけを強くして、あとのキャラクターはすべてcp10を目標にどんどん弱いものだけを選別して残す、ということをずっとやっておりますが(TLが上がると、cpが低いのを見つけるのはそれなりに根気が要る)、事後的に導入された性別を確認すると、わたくしがcp1000以上に育てていたキャラクターたちは、♂が8種、♀が5種。雌雄の比率は、日本の大学教員の男女比よりも、はるかに雇用均等・共同参画な感じになっていたようです。

それなりにポケモンgoをやりこんでいると伝えられる記号学会の会長さんや、自宅のベッドでゲームを楽しんだ(参与観察した?)と自己申告しておられたゲーム研究者さんのお手元のデータベースは、どういうことになっているのだろう。

ヴァーチャルが現実に介入するゲーム的ジェンダー論の恰好の素材だと思うのですが?

(そして女性参政権は20世紀のムーヴメントであり、ドイツにせよフランスにせよ大英帝国にせよ、第一次世界大戦以前の帝国とナショナリズムを扱っているかぎり、出て来ない案件ですが、大英帝国的に「リアリティ 2.0」を構想して、大丈夫なのでしょうか?

他方で、新世代における性差の導入は、同じ種でも外見や属性が異なる状態を保持するわけで、プログラミング上の大きな変更だっただろうと思われます。データベースの項目を増やして、億単位のユーザデータに新たにそれを書き込んでユーザの端末と無線通信で同期するのだから作業は膨大ですね。ピカチュウに赤い帽子を被せたり、ベイビーの登場で図鑑の枠を段階的に増やしたのは、この作業の下準備だったのかもしれませんね。

人間たちが雑誌や研究会で「1.0」感満点にホモソーシャルな旧交を温めている間に、ハーフリアルなのかもしれないゲームは、着々と性差のある「2.0」を遂行している。)