サミー・ネスティコ

コモンウェルス・ヴァージニアの地図上の位置を確認して、次はサミー・ネスティコである。

ビバップからクールの50年代に低迷したカウント・ベイシーがクインシー・ジョーンズらをアレンジャーに迎えて60年代に復活して、その流れで空軍バンドからスカウトされたのがサミー・ネスティコなんですね。

私は阪大で吹奏楽をやっていたわけだが、合宿の余興でビッグ・バンドをやろうということになって(その頃バーンスタインのシンフォニックダンスを練習していた)、「お前はピアノが弾けるのだから、この最初のソロをコピーしろ」と渡されたのがカウント・ベイシーのウィンド・マシンのカセットテープだった。無理ゲーである。

当時、軽音楽部ジャズ班がいつも学生会館の外で練習していて、待兼山キャンパスに常時鳴っていたのが、彼らの十八番のこの曲だった。高校時代テキサスに留学していた吹奏楽団のサックス吹き(シンフォニックダンスをやろうと言いだしたのも彼)が軽音から楽譜を調達したのでしょう。渡された譜面は手書きだったが、軽音のビッグバンドはベイシー/ネスティコをコピーしていたようだ(=30年越しで明らかになったささやかな真実)。

そんな「ニュー・ベイシー」の立役者はクインシー・ジョーンズということになっているようだけど、黒い重厚なアレンジですね。Soul Bosa Nova(大阪モード学園)とか Ironside (ウィークエンダー)とか、彼のオリジナルはスカした60年代の感じがする。

ジャズとしてはクインシー・ジョーンズが本筋なのかもしれないけれど、むしろネスティコの軽くキラキラしたアレンジでベイシーは70年代80年代を生き延びたんですね。空軍バンド出身というだけでなく、なるほどネスティコのほうが吹奏楽とは相性が良さそうだ。

コモンウェルス・ヴァージニア

NHKのお昼のニュースが、大統領令差し止めを受けて「南部ヴァージニア」の動向を取材して、大統領はいま「南部フロリダ」の自宅にいると報じていた。ヴァージニアは確かに南北戦争で南軍についた激戦地だそうだけれど、川を挟んでワシンドンD.C.に接しているし、風と共に去りぬのジョージア州を含めて、南北戦争の主戦場は東部なんですね。

一方、連邦地方裁判所に提訴して差し止めの仮処分を取り付けたワシントン州は西海岸の一番北のシアトルがあるところ。イチローのマリナーズとかマイクロソフト発祥の地とか、西海岸っぽいことが起きる土地柄のようだ。

日本は合州国の属国だ(良くも悪くも)、と主張するのであれば、北条・徳川・上杉の「東国」と豊臣の「大坂」がいかに遠いか、というのを強調する真田丸みたいに、東海岸と西海岸が途方もなく「遠い」ことを面白く描く大河ドラマをNHKでやってはどうか。史上初の赤毛もの大河ドラマで南北戦争を描く、とか、いいんじゃないか。

(必要があってヴァージニアのシェナンドーについて調べて、ヴァージニアやマサチューセッツなどが Stete ではなく Commonwealth と呼称するのを初めて知った。英国からの独立13州の東部と西海岸、そして最近なにかと話題の中西部の関係には、まだ色々機微があるんじゃないか。)

琵琶湖

琵琶湖ホテルの前からiPhoneのパノラマで撮ってみた。湖畔に音楽ホールがあって、年に数回ずつこの景色を眺めることができるのは有り難いことです。

(今日の小菅優のリサイタルも、後半は、武満徹「雨の樹I, II」「エステ荘の噴水」「イゾルデの愛の死」と水にちなんだ曲が並んでおりました。)

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(調べたら、琵琶湖ホテルの旧館は湖の西側、湖西線大津駅のほうなんですね。アップロードした画像は画質を落としたのでわからないけれど、オリジナルで画像左の山のふもとに姿を確認できた。デジカメの解像度は大したものだ。)

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三角形は固いのか? ステレオフォンと3Dモデリングのアポリア

淀川河川敷を iPhone のパノラマで撮るのがあまりにも面白かったので、少し考えてみた。

大栗裕が遺したオープリンルテープのモノラル録音を整理したり、BT無線イヤフォン(片耳)を便利に使っているうちに、「ステレオシステム」は聴覚体験として自然というより人工的な one of them なのではないか、という気がしつつある。

モノラル録音に「左右」はないが、「奥行き」はしっかり聞こえる。モノラル録音はフラットではない。聴覚的「立体」(耳が捉えるような)と、「左」と「右」の偏差から位置を割り出す三角測量風の「定位」は、おそらく同じ概念ではない。

ここで三角測量の語を使ったが、日本語の「ステレオ」のもとになっている stereophonic はギリシャ語の stereo と phone を組み合わせた造語らしい。そして stereo は「固い/立体」を意味するそうだが、「立体の固さ stereo」が2つのマイク/スピーカーを設置することで実現できる、というのは三角形の幾何学ですね。

でも、聴覚的な「奥行き」は2つの耳の三角測量だけで把握されるのではない可能性がある。

20世紀の録音再生技術史は、「立体」が三角測量に尽きるものではないとしたら何なのか、聴覚に範囲を絞って探究した歴史だったのかもしれない。

一方、視覚のほうは、光学レンズが捉えた像の特性を探究することに熱心で、三角測量風に複数のレンズの偏差を利用する試みは散発的だ。いわば、片目でいけるところまで突き進んだのが視覚の20世紀で、動画のための3Dモデリングには画角など単眼レンズで培われてきた概念が必要になるようだ。

3Dにデザインされていないビデオゲームのディスプレイを「古い」と感じる技術者がいるとしたら、その人は単眼光学レンズ越しの視覚像に囚われた自らの感性の古さを疑ったほうがいいかもしれない。おそらく3Dモデリングの過剰でけばけばしい感じは、マイクによる集音とスピーカーによる出力に囚われた音響マニアの煩わしさに似ている。

聴覚は、20世紀に、3D的な方向であれ、ステレオ・三角測量的な方向であれ、知覚の科学に軸足を置く音響の取り扱いの機微、その可能性と限界を既にひととおり一巡してしまったように思う。いまだに3Dや複眼立体視を言っている視覚文化が未熟に思える、というのは、そういうことだ。

(先日、十数年ぶりにメガネを新調した。思えば、大学院に進学した頃からコンタクトレンズを使うようになったので、その後に批評や大学で仕事でお知り合いになった人たちは、メガネをかけている私を知らない。生まれてから25年間、ちょうどシューベルト(メガネの作曲家ですね)のピアノ音楽に取り組んでいた頃までメガネのお世話になって、その後、ウェーバーだ大栗裕だ劇場だ、と言いだした頃から25年間コンタクトレンズを常用している(大栗裕も黒縁メガネの人ですが)。この先、平均寿命を考えればさらに25年はどうにか生きながらえるでしょうから、デジタル情報技術だAIだと言うのであれば、マニアックではないアプローチで、視覚について、使える知性が発展してほしいものです。目が悪い者にとっては死活問題ですよ(笑)。)

アイデアの枯渇

全共闘がベトナム戦争反対のスローガンをもちだして延命した50年前の「成功事例」(なのか?)に倣って、SEALDs的な「運動」を反トランプで延命させようと考える人たちがいる、という理解でいいのだろうか。20世紀的な既成素材の「分析・編集・反復」にしか見えないのだが。

(しかしトランプの大統領就任で増田聡が息を吹き返す、とか、twitterはまるで時間が止まっているかのようだ。みんなで仲良くルールを守ってゲームに興じているとこうなるんだね。)

ケルトの深度

リバーダンスの発端になった1994年の7分間のパフォーマンスの映像を見た。ダンス・コンテストのテレビ中継が世界的なヒットの発端だったんですね。

短い20世紀がバレエ・リュスの「春の祭典」ではじまったとしたら、21世紀はリバーダンスで幕を開けた、と言えるのだろうか?

東西冷戦の終結で欧州の「周縁」の意味が変わって、21世紀は他民族多言語のヨーロッパ共同体へ向かったと考えれば、中東欧のクレズマーやロマの音楽が見直されるのと同時期の現象かもしれないし、欧州のケルト・ブームは北米のアイリッシュにとっても他人事ではなかったはず。1997年の映画「タイタニック」にもケルトがフィーチャーされていましたよね。テーマ音楽はエンヤ風に、と発注されていたそうだし、1994年の7分間のリバーダンスがケルトの水の精の手を動かさない足だけのダンス(ケルトの伝統的なスタイルだと説明されるが、孤独で束縛された女性に見えるのは否めない)で始まって、彼女がエネルギッシュな男性と出会い、群衆のなかに迎え入れられる構成は、キャメロンが1997年の映画に組み込んだローズとジャックの物語とかぶりますね。

ただし、「ケルティックなもの」が白人社会を越えた意義をもつのかどうかがよくわからない。ジグのペンタトニックとヘミオラがどの程度に「根源的」なのか、これもよくわからない。むしろ、リバーダンスは、「演歌は日本の心」に似た「発明された伝統」なのでしょうか? リバーダンスは2017年現在どういう枠組で語られているのだろう。

大阪の「外陸」部

地形を語るときに山側を「内陸部」と言うけれど、70年代以後の宅地開発は、海に面した都市を「外」へ開く意識があったんじゃないだろうか。下関から大陸につながっていた瀬戸内海の交易ルートのドンつまりの大阪の場合、とりわけ、その感じが強いように思う。

大植英次が大阪フィルを大川河口部に近い福島や中之島から大阪城に連れ出したり、鴫野生まれの西村朗が城の北東の民間ホール(大坂冬の陣の京橋の戦いがあったあたり)で新しい団体を旗揚げした関西のクラシック音楽のゼロ年代は、今から振り返れば、大阪を東の「外陸」に開こうとしていたのかもしれない。

大阪フィルの大阪城進出は橋本維新に阻まれ、くだんの民間ホールは、一皮めくれば東国のマネジメントから公演を買っている。大阪の外陸への東進は頓挫して、都構想騒ぎを経た2010年代後半の大阪は、結局、瀬戸内海のどん詰まりなんですかね。開港当時はだだっぴろく閑散としていた関西空港が息を吹き返したのも、大陸からの観光客のおかげだし。

淀川という大きな裂け目

東の上流にJR東海道線の上淀川橋梁、西の下流に阪急電車の新淀川橋梁を望む新御堂筋・新淀川大橋あたりの堤防から梅田のビル街を眺める。

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河口から8.0kmの距離標まで来ると、左に新御堂、右に阪急、正面に大阪駅ビル、川面も見える。

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最寄りの南方駅と新大阪駅と、大阪に出てきて最初に住んでいた崇禅寺駅や、堺筋につながる柴島の位置関係を地図で理解したのも今回がはじめてでしたが、治水事業できれいに整備された緑地帯ごしに高層ビル群を見ていると、色々考えてしまいますね。

淀川は、商都大阪にとっては潤いをもたらす豊かな水脈だけれど(大栗裕は南側左岸の京阪沿線、淀や枚方に住むようになってそのような淀川にちなんだ曲をいくつか書いた)、一方、北側右岸の北摂から見ると、淀川は平地の大都会を丘陵と隔てる大きな裂け目であり、橋を架けるのは大事業だったんだろうなあ、とか、

(東海道線の鉄橋は、鉄道好きにとっての大阪のシンボルであるらしく、ウィキペディアにはとても詳しい項目が立っている)

上淀川橋梁 - Wikipedia

新幹線は淀川を渡って梅田に入る在来線を強引に横切る形で敷設されており、そのせいで新大阪駅は在来線利用者にとって恐ろしく不便な造りになっていて、なるほど新幹線は弾丸列車なんだなあ、とか、

河川敷の公園でしばらくぼーっとしていると上空を飛行機が斜めに横切るのだけれど、調べてみると、このあたりも(庄内がそうであるように)伊丹空港の長い滑走路に南東から着陸するコース上なんだなあ、とか。

要するにこのあたりは高度成長以後の「北摂」のスタート地点みたいな場所なんですね。

(そういえば、母は高槻に転居したあとも、心斎橋や天王寺へ出るのに、梅田で乗り換えるのではなく、わざわざ新大阪駅でJR(当時は国鉄)から地下鉄御堂筋線に乗り換えていた。田舎者で梅田の鉄道事情をよくわかっていなかったせいだが、新幹線ができて、伊丹の空港に国際線が離発着していた頃には、新大阪周辺がこれからの北摂の拠点になるはずだ、という機運がなかったわけではないかもしれない。地方から出てきた者は、大阪駅より前に新大阪駅に降り立つわけですしね。で、180度視界が開けた河川敷から地下鉄に乗って梅田に出ると、狭い地底に潜った感じがしてしまう……。

高台の豊中から低地の大阪市に指令を出した橋本徹は「北摂的」に振る舞ったんだな、と改めて思います。伊丹や尼崎を「大阪都」に入れてしまえばいいじゃないか、というのも、神崎川や淀川で生活圏が区切られている「大阪市内」の感覚ではなく、山地・丘陵が府県のはっきりした境界なしにつながっている北部の「丘/山脈」の発想だと思う。阪急電車は豊中・池田・宝塚から川西・伊丹・西宮をつないでしまっていますしね……。阪神淡路の地震で、大阪市内は揺れなかったが、兵庫とつながっている豊中・箕面はかなり揺れた。そして北摂の大学に学んだ増田聡は北摂になじめなかったようで、杉本町の大学に堺や神戸から通っているが、同じ大学で「都構想」の歴史的経緯に理解を示した砂原先生は北摂の大学に転任した。)

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天王寺や長居や扇町や服部の公園もポケモン界では特色のある場所に設定されていますね。

天王寺公園は徳川や真田の茶臼山に隣接するだけでなく、かつて大阪市音楽団の本拠があって、大栗裕は中学時代、楽器を習いにここまで通っていたそうだし、扇町公園にはかつて大阪フィルの練習場があり、服部緑地は、調べてみると戦時中の防災公園が発祥だったようで、それぞれ足を運んでおいてよかったのではないかと……。えらくきれいに整備されている扇町公園を自転車が我が物顔に往来するのは危ないなあ、と思いますが。

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(いずれにしても、雑誌「ユリイカ」は、こういう風なリアルとヴァーチャルのあわいに「詩」を見いだすセンスを持ち合わせてはいないようだ。文学は編集部とライターの添付ファイル付き電子メールの往来ではない。現場で起きているのだ。)

比喩が成り立たない世界に背を向ける者

岡田暁生のメロドラマ論は、メロドラマ様式のオペラのヒロインたちの生き様を「まるで宗教的カリスマ(巫女)のようだ」、「まるで芸能界のようだ」と言うが、大栗裕の仏教洋楽のことを調べて、来年はミュージカルの歴史を授業で担当する立場になると、この「まるで……のようだ」話法が気になる。この話法が成り立つのは、オペラが宗教音楽「ではない」からであり、オペラ歌手は芸能人「ではない」からだ。そして岡田暁生自身も純愛の人であり、当人はメロドラマ的ではない。自分はメロドラマの当事者ではないことを自明の前提にした対象化であり、宗教や芸能界に巻き込まれているわけでもないがゆえのお気楽話法、宗教や芸能界がイメージ通りに存立していることを前提してそこに寄りかかる「踏み台」話法だが、宗教や芸能界(ショービズ)を正面に見据えて対象化すると、もう、この話法は使えない。

メロドラマ・オペラのヒロインたち

メロドラマ・オペラのヒロインたち

吉田寛先生がドゥルーズを援用して「似ていないがゆえにシミュラークルの抗いが可能になる」と主張するのは、この種の「踏み台」話法をミメーシス全般に拡張して全肯定してしまおうとする目論見に見える。都会の知識人・高等遊民は、どこかに存立しているかもしれないけれども内在的に直観できない「リアル」と格闘するのを諦めてシミュラークルを生きればいい。それこそが抗いであり、「リアリズム2.0」だということになると、やっぱりマズいのではなかろうか。

ユリイカ 2017年2月号 特集=ソーシャルゲームの現在 ―『Pokémon GO』のその先―

ユリイカ 2017年2月号 特集=ソーシャルゲームの現在 ―『Pokémon GO』のその先―

(それにしても、「インターフェースは雑なんですけどね」とか「見た目はいつ時代のゲームかと思いますけどね」と前置きしないとポケモンGOについて語ることができない自意識って何なんですかね。ビデオゲームは、20世紀のサブカル・エリートのアジールなのか? まあ、大学(斜陽化が著しい)で「研究」される対象になっちゃいましたからね。)

聴覚文化の疲弊と視覚文化の未成熟

20世紀は「言語論的転回」を達成した記号の時代であった、という言い方があるけれど、その実体は、文字によるコミュニケーションがコモディティ化して、もはや文化・文明における特権的な位置を占めるものではなくなった、ということに過ぎないかもしれない。

「言語論的展開」を果たしたと称する論客は「音声中心主義」を批判するのが習い性だったわけだが、メディア論や各種社会科学の成果をながめると、むしろ20世紀は「声の世紀」だったのではないか、と思えてくる。「声の優位」は、音声中心主義への批判で言われるような過去に根ざす伝統の復活、近代人としての我々が克服すべき忌まわしき古代の残滓というより、声を無線で地上に散布する20世紀の新体制の現在だったのではないか。ユダヤ教・キリスト教が声の宗教だったことと、20世紀が「声のブロードキャスト」の時代だったことは、偶然の類似、他人のそら似に過ぎず、そのような偶然にすがって、現にそこにある「声の優位」を古くさいものであるかのように言い募ったのは、現実を否認して、声の優位に抗い、文字を信じようとする心的作用に過ぎないのではないか。

他方で、20世紀は視覚イメージが氾濫する「ヴィジュアルの時代」だったとさかんに言われてきた。たしかに、グーテンベルクの聖書印刷の時代から考えれば、活字を組むのではないオフセットからデジタル編集へと印刷技術が変遷して、出版物における文字と図像の関係は前の世紀と比べれば、はるかに自由になった。

でも、それは出版業界内部の事情、「紙の上の革命」に過ぎず、いわば「紙上の空論」だったのではないか。

現実の生活空間をみわたすと、むしろ20世紀は、印刷物(紙)におけるだけでなく、映画のスクリーンやテレビ・コンピュータの画面など、視覚イメージを徹底的に二次元平面に押し込めており、そのような視覚イメージの二次元化を「進歩」であると人々に信じ込ませる時代だった気がする。20世紀は視覚文化の活動領域を徹底的に限定しており、視覚文化にとっては人類史上空前に窮屈な時代だったのではないだろうか。

吉田寛先生は『表象』という雑誌で、視覚文化論の活況に対して、聴覚文化論があまりにも手薄である、と嘆いたわけだが、21世紀の入り口に立って私が思うのは、「声の世紀」がそろそろ制度疲労で先細るんじゃないかということ、そして、視覚文化は、二次元平面の外に解放される道を見いだすことができれば、ようやくこれから本当の成熟に向かうんじゃないかということだ。マンガやアニメやビデオゲームの人類史的な可能性を構想するとしたら、むしろ、そういう構図を思い描いたほうがいいんじゃないだろうか。