weak / vulnerable / disadvantaged

【前文】

もし、あなたが私たちとの対話、対話を通じての問題解決を望まないのであれば、あなたは以下の段落を読む必要はありません。

インターネットに公開された文章の性質上、上記の断り書きに同意することなく以下の段落を読み進めることを防止する方法はありません。

しかしながら、もし、あなたが対話的コミュニケーションを望まない場合には、

直接・間接の言及・参照であるかを問わず、あるいは、あなた自身の直接話法であるか、第三者の文言の全文引用もしくは部分引用であるかを問わず、

この文章の書き手は、あなたがこれから読まれるであろう文章に対して、あなたが沈黙することを要求します。

すなわち、以下の文章は、対話的コミュニケーションを望まない読者による一切の言語的反応を禁じます。

【本文】

「社会的弱者」という言葉には、マジックワードの気配がありそうなので、少し調べてみた。

あたかも普遍的に通用するかのような姿をしている日本語マジックワードは、経験上、欧米語からの翻訳によるトリックを使っていることが多いので、確認してみる。

(1) the weak

「弱者」の語は、the weak に対応すると想像されるが、検索すると、the weak / the strong の概念対は進化論の文脈で使われることが多く、the socially weak / the socially strong の語は、悪名高い社会進化論の枠組を強く連想させるようだ。

おそらく増田聡先生が「弱者」の語を愛用するのは、これを「ファシズム」や「イジメ」の語と関連づけて語ることから考えても、何らかの形で社会進化論を召還して、その文脈で何かを語りたいのであろうと推察される。

しかし、19世紀末から20世紀前半にさかんに言われた社会進化論は、今となっては、議論を理性的に展開する枠組として、あまりにも問題が多いと言わざるを得ない。

そして「社会的弱者」を語る文脈では、むしろ、the weak とは別の言葉が用いられつつあるようだ。

(1) disadvantaged

英語版ウィキペディアには、disadvantaged が立項されている。

The "disadvantaged" is a generic term for individuals or groups of people who:

  • Face special problems such as physical or mental disability[1][2]
  • Lack money or economic support[3]
  • Are politically deemed to be without sufficient power or other means of influence[citation needed]
Disadvantaged - Wikipedia, the free encyclopedia

「政治的に正しく」あるためには、weak/strong ではなく、(dis)advantaged を使うほうがいい、と考えられている気配があり、the social disanvantaged xxx (社会的に不利な〜)は、行政・法律で用いられる語彙のようだ。

disadvantaged のある・なし、原因などを分析して、対策を検討する、といった方向に議論が進む呼び水になる言葉であるような印象を受ける。

(3) vulnerability

しかし、英語版ウィキペディアには、もうひとつ、「vulnerable 傷つきやすい → 外敵に脅かされている/絶滅が危惧される」の語を用いた、social vulnerability が立項されている。

In its broadest sense, social vulnerability is one dimension of vulnerability to multiple stressors and shocks, including abuse, social exclusion and natural hazards.

Social vulnerability - Wikipedia, the free encyclopedia

to multiple stressors and shocks, including abuse, social exclusion and natural hazards という言い方から、何らかの精神的外傷を負いうる社会状況を想定した概念だと思われる。vulnerability は、「心のケア」を要するのはどのようなとき、どのような人たちであるか、という方向に話題を導くようだ。

「弱者」の語をこのように differenciate していく手つきを、私たちは見習ってもよいのではないだろうか。

シャッター速度

手持ちで人間や生き物を撮るなら1/125秒が基本。動くものは1/250秒、それほど素早くないスポーツだったら1/500秒、高速運動は1/1000秒、と言われるらしい。

三脚を立てて、止まっているものを「記録」するのとは、別ジャンルなのですね。

瞳にフォーカスしないと被写体が生きない、というのからはじまって、人と人とのおつきあいに必要な膨大なノウハウの蓄積のなかでポートレート写真が撮影されていることを知る。

「情報」として流通する画像の数々は、言葉の群れと同じくらい玉石混合で、しかしその「断片」たちは、言葉の群れがそうであるように、ひとつひとつが何者かではある。

ブック・ガイド「ファシズム」

「ファシズム」という言葉は、意味が広すぎるマジックワードになってしまっており、ほぼ、誰でも恣意的に自分の気に入らないものにこのレッテルを貼ることができそうな現状なので、意味を失っている、という趣旨を小谷野敦が書いていたと記憶する。

政治や人間関係、集団のあり方を語る論争では、当面、何かを「ファシズム」と呼ぶのは思考停止と同義である。

「ファシズムの再発防止」を政治目標にすると道を誤る。

歴史記述においては、例えばシヴェルブシュの言う「三つの新体制 Three New Deals」のように、マジックワードとしてのファシズムの語を回避して20世紀中葉を語る有力な試みが近年提案されつつあるようだ。中川右介『悪の出世学』は、「ヒト」の側から同じ領域に迫る。

そして東浩紀がショッピングモールに着目するのは、おそらく、現在を「ファシズムの再来」と語ってしまう思考停止を回避する試みだろう。

従来「人文学」と呼び習わされてきた分野では、在野の論考の貢献度が相変わらず高いことを再認識する上でも、この3冊を広くお薦めしたい。

三つの新体制――ファシズム、ナチズム、ニューディール

三つの新体制――ファシズム、ナチズム、ニューディール

悪の出世学 ヒトラー・スターリン・毛沢東 (幻冬舎新書)

悪の出世学 ヒトラー・スターリン・毛沢東 (幻冬舎新書)

大河ドラマ「言語丸」

第1回「比喩」: 私はゾンビのように働いている。(=記述的言明への比喩の導入)

第2回「詭弁」: 労働を強制されるからゾンビになるのではない、お前がゾンビだから労働を強制されるのだ。(=批評的修辞としての詭弁の介入)

第3回「行動」: よし、オレは今日からゾンビとして生きてやる。(=言語行為論に依拠するアクション発動)

「乱世を生き抜く真田家の人々」ならば、負のスパイラルを断ち切って、徳川(散文的現実)・北条(華麗な策謀)・上杉(信念と決断)の三すくみから信濃の領地を守ることができるのだろうか?

「文章作成AIが世界最強の事務員に勝利」

開発者によると、この文書作成AIは、既存のデジタル文書を世界最強の事務員よりも高速に自動複写する。しかも、「編集」→「カット/コピー/ペースト」という指令を与えるだけで、対象が文字列か、画像か、音声か、定型文書によくある表やチャートなどの書式であるか、自動認識して適切に処理する。

文部科学省のある関係者は、「これで文章作成の歴史が変わる。早速、学校教育への導入を検討したい」と語る。WISIWYG (What You See Is What You Get) 型パーソナル・コンピュータの進化から目が離せない。

(という記事を虚構新聞で配信してはどうか。)

半可通の悲喜劇

科学の半可通が科学に対する幻想を助長する悲喜劇を見かけることがあるように思うが、「言語論的転回」なるものも、ことばの半可通がことばに対する幻想を助長する悲喜劇を招きますね。

ハナから幻想を抱かない人や、幻想から覚めた人のほうが圧倒的に多いのは、科学におけるそれと同じことだと思うけれど。

反米という病 なんとなく、リベラル

反米という病 なんとなく、リベラル

短い序文に書いてあるのは、「反米」をめぐる悲喜劇もそうじゃないか、ということのようだ。で、本文は、「反共」と「反米」をちゃんと区別すると、「戦後」(昭和後期)と「平成」を分けて整理できるようになりますよ、という話をしているように見える。そしてその「昭和後期」と「平成」の間には、改元=皇位継承という踏み絵があるわけだ。

学校幻想

世界がどういう風になっているか、子供に教えるための学校というのを作ってしばらくすると、学校で世界を学ぶのではなく、世界が学校のようであればいいのに、と倒錯する者が一人か二人は出てくる。

でも、もちろん、世界が学校のようになったりはしない。

とはいえ、そのような幻想を生み出した学校という制度を逆恨みして、こんなものは最初からなければいいのに、と誰かが言いだしたとしても、そんな理由で学校が消滅したりはしない。

(……というのは、厨年病ですらない普通の厨二病か。)