「熱狂の日」音楽祭2007プログラムに見る第二次世界大戦の影??

東京のゴールデンウィークの「熱狂の日」音楽祭は、初回に長岡京室内アンサンブルの公演を1回聴いただけなので、ほとんど部外者ですが。

id:tsiraisi:20050430#p1

今年のプログラムが発表になったようですね。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン
「熱狂の日」音楽祭2007
〜民族のハーモニー〜
東京国際フォーラム(全館):2007年5月2日(水)〜5月6日(日)
丸の内・周辺エリア:2007年4月29日(日)〜5月6日(日)

http://www.t-i-forum.co.jp/lfj/outline/index.html

当初言われていた「国民楽派」という言葉が消えて、「民族」という言い方になったんですね。

「国民楽派」という言葉は、イタリア・フランス・ドイツがヨーロッパ音楽の中心(フランスは政治・文化の中軸でもあり、イタリアはカトリック教会とオペラ、ドイツは交響曲のおかげで存在感を主張できた)という発想が前提で、19世紀後半から「周辺国」の自立の動きが高まったという見方だと思いますが、

これは、あまりにも古き良き「クラシック音楽」の世界像(学校の音楽室に大作曲家たちの肖像が飾ってあるようなイメージ)と密着しすぎていて、音大などで音楽史を講述するような時にも、フランス・ドイツのナショナリズムや、イタリアのリソルジメントを説明できないなど、何かと不便。今はもう、限定的にしか使えない概念だと思っていました。

だから、音楽史の教師的には、「熱狂の日」のように注目度の高いイベントで「国民楽派」という言葉が蘇るようなことにならなくて、ひと安心。(^^)

プログラムは、フォーレから六人組まで、普仏戦争以後のフランス音楽が一大勢力になっているようですし、スペイン、ボヘミア、モラヴィア、ハンガリー、ロシア、フィンランド、ノルウェー、アメリカの音楽が並んで、アジアのオーケストラが参加して、ホール名は各国の有名作家にちなんでいて(マラルメやドストエフスキーが「民族」という言葉に結びつくとはこれまで考えもしなかったのですが、ここはそういう細かいことを言う場所ではなさそう)、音楽の万国博覧会という感じですね。

ただ、これだけヴァラエティに富んでいると、(私はひねくれ者ですから(笑))、何が入っているか、とあわせて、「何が入っていないか」というのもチェックしたくなってしまいました。

オーストリアは過去2回でモーツァルト、ベートーヴェンを散々やったわけですし、イギリスは大陸とはちょっと異質だからいいとして、主なところではイタリアとドイツがない。それから、開催国の日本も、武満徹(と小山清茂?ざっとPDFを見たときには気づきませんでした)入っているのみ(企画段階で日本を入れるかどうかというのは、一度は検討されたような気がなんとなくします、全然根拠のない想像ですが)。

結局、入っていそうで入ってないのは、ドイツ・イタリア・日本。奇しくも第二次世界大戦の枢軸国ですね。

20世紀半ばのファシズムに加担した3つの国が21世紀版「民族の祭典」から外されている、という風に言ってしまうと、何か意味ありげな感じになってしまいますが、たぶん、そういう明確な意味づけはなく結果的にこうなったのだと思います。だからこそ、示し合わせたように「三国同盟」が消えているというのはちょっと感動的。よくできたプログラムだなあ、と思いました。

[追記]

小山清茂も1曲入っていたんですね。あと、日本がほとんど入ってない点については、記者会見でマルタン氏がコメントしたみたいですね。

http://yamaonosuke.blogzine.jp/honke/2007/02/post_0e7c.html

やっぱり「熱狂の日」のことは、山尾さんの記事を読むのがわかりやすい。(^^)

ストラヴィンスキー「結婚」とか、ムジカーシュとか、なんとなくアリオン音楽財団&「東京の夏」っぽいラインナップも面白そう。