イシハラ リリック アンサンブル フェアウェルコンサート

夜、イシハラホール。親会社である石原産業のフェロシルト問題の余波で、このホールの十五年続いた自主事業は、本日と明日のイシハラ リリック アンサンブル演奏会で終了。縁あって、この演奏会のプログラムにホールの十五年の歩みを振り返る文章つきの曲目解説を寄稿させていただきました。
ホール開館時の朝比奈隆さんの言葉などを引用しつつ、

現在の大阪フィルハーモニー交響楽団が関西交響楽団として産声をあげた朝日会館。「夕鶴」が初演され、数々の創作オペラが上演された産経会館。キラ星のような名演奏家たちを招聘したフェスティバルホール。朝比奈さんが牽引した戦後大阪のクラシック音楽は民間主導の輝かしい「“四ツ橋”文化」と言うべきものだったのかもしれません。

というように、ホールのある「四ツ橋」という土地の記憶みたいなお話(やや「神話」的な?)などを書かせていただきました。

最近わたくしが注目しております武智鉄二が「関西実験劇場」として戦後、自腹を切って若手歌舞伎役者の公演を打ったのも四ツ橋にあった「文楽座」だったようで(「関西実験劇場」は武智鉄二が公演費用を出しただけでなく、稽古期間中を含めて役者さんを松竹から「丸ごと買う」形にして、他から干渉されることのない武智流の理想の舞台を作ろうとする活動だったようです、究極の道楽であり、それが上方歌舞伎に新しい流れをもたらしたのですね)……、クラシック音楽だけでなく「四ツ橋」が大阪の舞台芸術の発信源である時代があった、という言い方は十分可能ではないかという気がしています。

[追記]
そして、武智鉄二の「関西実験劇場」(武智歌舞伎)については権藤芳一さんの著書が詳しいです。ご参照ください。「文楽座」が戦後いち早く再建されて、天皇の行幸があったことなども紹介されています。

上方歌舞伎の風景 (上方文庫)

上方歌舞伎の風景 (上方文庫)

[追記おわり]

今夜の最後は十五年前のオープニング・コンサートでも取り上げたチャイコフスキーの弦楽セレナード。豪華メンバーの十七人がゆったりした余裕のあるテンポでじわじわ盛り上がっていく様子は、朝比奈さんが好んでいたと言われる「コセコセしない音楽」の感じにちょっと似ているかもしれないな、と思ったりもしました。(大阪のクラシック音楽を何でもかんでも「朝比奈さんの記憶」と結びつけて語るのは安易でよくないやり方だと思いますが、イシハラホールのプロデューサーの戸祭さんは、お話をお伺いすると学生時代からNHKのプロデューサー時代まで、ずっと朝比奈さんのお仕事を見続けてこられたそうですし、「“四ツ橋”文化」に連なることを目指したホールの最後の自主公演で朝比奈さんのことを思い出す、というのは許されることなんじゃないかな、と思いました。)ちょっと不思議な盛り上がりをする一体感のある演奏でした。

イシハラホールの運営方針は十五年間、最後までぶれなかったですね。公演はあと一日あり、私は都合で行けませんが、こういう風に最後にお仕事をいただいたのも何かのご縁。最後を立派に飾っていただきたいと思っております。