即興:まとめ

「即興」について断続的に書いてきましたが、記事がバラバラになっているので、目次風のまとめをしておきます。

(1) アンデルセンの『即興詩人』

文学で、improvisatore(即興詩人)という言葉が用いられたのは18世紀の終わり頃であるようです。おそらく、音楽でこの語が用いられるのもこの頃かそれよりあとだと思われます。文学や音楽で、即席に詩作・演奏することはそれ以前から当然あったはずですが、そのような行為が、特定の言葉・概念を当てはめて、明確に意識されはじめたのは、近代になってからである、ということになりそうです。

そしてこれは、「天才が芸術創造の源泉である」と考えられるようになったのと無関係ではないだろうと思われます。何かが「降りてきて」(=インスピレーション)、憑依的に詩や音楽を紡いでしまう。それは、天から才能を授けられた者だけに許された行為であり、「天才」の証しである、ということなのでしょう。

アンデルセンの『即興詩人』は、それ自体としては、本当に名作なのか、疑わしい気がするファンタジー小説だと思いますが、この書物がそれなりに評判になったり、日本で森鴎外が異常な情熱を傾けてこれを翻訳したのは、「創造」の向こうに「天才」を見ようとする近代のロマンティックな藝術観が「即興」という言葉を招き寄せてしまう経緯を示す格好のサンプルだと思います。(そうした振る舞いや言説が、現代の私たちからすると、ちょっといかがわしかったり、気恥ずかしかったりしてしまうところを含めて。)

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20111108/p1

(2) improvisatoreとrhapsodos

ただし文学においても音楽においても、即席の創作、作ったその場で演じるという行為としては、improvisatoreの抒情的な「詩・歌」とともに、rhapsodosの当意即妙な物語りというのが存在したことを忘れてはならないように思います。いわば、ショパンの即興曲(impromptu)と、リストの狂詩曲(rhapsodie)の違いですね。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20111105/p1

そして「即興」にかぎらず、文学(言葉)や音楽(音)による表現・表出行為においては、抒情lyricと叙事epic、歌と語りが、一方を他方に回収できない表現・表出行為の両輪のようなものとして、ヨーロッパでも日本でも、ずっと平行して存続しているように思います。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20111119/p1

(3) 「即興」の諸相

20世紀まで話を広げると、「即興」はさらに多彩な相貌を示すようになります。

阿部公彦『即興文学のつくり方』は、文学における「即興」をスマートに扱った本だと思いますし、

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20111030/p1

私が、一番最初に走り書きしたエントリーは、

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110922/p1

出した当初は、「イマイチ」みたいな反応をいただいたりもしたのですが、以上の諸々を一巡した上でご覧頂ければ、おそらく、それほど的はずれではなかったとご理解いただけそうに思うのですが……。

とにかく、デリケートな案件であるだけに、「即興は魂の叫び、爆発だ!」というような、藝術におけるテロリズム・アナーキズムみたいな方向へ持っていっておしまいにはしないほうがいいと思うのですよね。

そんなことをするくらいだったら、当世風のやり方で、「即興」は近代になって「創られた」、人工的なカテゴリーだ、と言ってしまったほうがマシだと思うのです。「即興」は、藝術の始原をかいま見せるというよりも、近代の文化の一様態である。ヒトは、そう簡単に始原へ立ち返り、文明をリセットした地点に目覚めることなどできはしない、と。

(4) 「即興」を患う中川俊郎

さてしかし、大久保賢さんなどが、この秋に猛然と即興を語り始めたのは、先日、大阪のサントリー芸術財団コンサートで特集していた中川俊郎さんのことを考えていたからであるようです。(演奏会へ行ったら、プログラムに大久保さんがエッセイを寄稿していた。)

中川さんの場合は、ふと気がつけば、なんだかよくわからない「何か」を内側に抱えてしまっていて、その「何か」と付き合うためには、とりあえず即興と呼ばれているような表現・表出形式を取らなければ収まりがつかない状態になっていらっしゃるようにお見受けしました。数ある方法論のひとつとして即興演奏を選択した、というよりも、内に抱えた何だかよくわからないものを出力するときに、「これは即興です」と言っておくと、とりあえず他者との関係が円滑になり、このとりあえずの命名を起点にして、辛うじて精神と人間関係の安定を保ち得ている感じ。いざとなったら「即興」という呪文を唱えればいい、というのを担保にすることで、日常の常識的な音楽生活・社会生活を営むことができている、というような、本当に特異な人なのかもしれないなあ、と思いました。

サントリーのコンサートについては、日経に批評を書きました。たぶん、もう出ていると思います。