関西ナムアミダ系ポリリズムと「悪い子」の遊び心

[3/19 ヴィルトゥオーソ管弦楽曲のポリリズムの話を最後に追記。3/18 大栗裕のリズムの特徴等を追記。でも、最後に菊地成孔へ戻ってきます。]

菊地成孔のTBSラジオの1月のアーカイヴにヒップホップとカタコト日本語と関西弁と翻訳の話を一挙にやっている回がありまして、

http://www.tbsradio.jp/denpa/2012/01/402012120-1.html

その前後の回には、4:5のポリリズムの話が出ていますね。

放送はいわば山手線方式東京23区方式で、3:4のポリリズム(クラーベですね)は「ヨヨギ、ヨヨギ、……」と「セタガヤ、セタガヤ……」の組み合わせ、4:5のポリリズムは「セタガヤ、セタガヤ……」と「セタガヤク、セタガヤク……」の組み合わせで説明していますが(これの20分目あたり→http://www.tbsradio.jp/denpa/2012/01/412012127-2.html)、

いってみれば、木魚4回叩く間に「ナマミダブ」と5音節唱えるとか(=4拍を5分割)、

木業を5回叩く間に「ナマミダ」と4音節唱える(=5拍を4分割)

というようなことですね。

(4:5のポリリズムの法要が実在するわけではなく、私が勝手に考え出したにすぎませんが。)

      • -

上のような譜面にすると、これはとても曖昧でどうしていいかわからなくなる(そしてロマン派音楽の連符はしばしばそうした「割り切れないもの」「分節を逃れるもの」を音楽に導入するべく用いられる)わけですが、

音楽と感情

音楽と感情

たとえばチャールズ・ローゼンが、曲頭からいきなり「普通でない」書法でテンションを高めるショパンなどの初期ロマン派音楽を分析する手つきは見事なものです。

一方、ポリリズムな世界ではビートをフラットに分割する感覚をつかめばよくって、

たとえば「ナマミダブ、ナマミダブ、……」と5音節の単語を早口で唱えてみる(=ビートを5分割)。これは簡単にできますよね。

で、これを唱えながら「ナマミダ、ブナマミ、ダブナマ、ミダブ……」と4音節ずつカウントしてまとめていくと、4拍を5分割した感覚を得ることができる。

同じことの裏返しですが、反対側から入って、今度は「ナマミダ、ナマミダ……」とビートを4分割したリズムを唱えて、

これを5音節ずつまとめていくと、5拍を4分割した感覚を得ることができる。

そして全部まとめると、ケチャかガムランみたいなタペストリー状のリズムの織物が出来上がります。


      • -

どこまでいっても、実際にやってみたほうがつかみやすい話ですが……、ともあれアフリカ/ラテンやアジアの音楽の一歩先にある人工的なポリリズムのモデルで、上流にドビュッシーやストラヴィンスキーがいて、ミニマリズムの支流と枝分かれしそうな水脈なのだと思います。関西洋楽系で言うと、この手のポリリズムを「アジア的」に暑苦しく堆積させるのは松村禎三のオスティナートとか、西村朗のヘテロフォニーとか大栗裕よりあとの世代かなあ、と思います。

大栗裕はこの一歩手前かもしれません。60年代以後の「アジア風前衛音楽」のようにポリリズムをサウンドとして顕在化・可聴化するのではなく、耳に聞こえるのはユニゾンや単一のリズム・パターンなのだけれど、演奏者はポリリズムなノリを内面化していないとこれを乗り切るのが難しいようになっている。大栗裕のポリリズムは、そういう風に、いわば読譜のリテラシーの水準に関わる潜在的なものだと思います。

たとえば「吹奏楽のための神話」などの変拍子(8分の10拍子を3:3:2:2に分割する等々)は、何でもいいですがとりあえず「アミダ・ニョライ・ライ・ハイ(阿弥陀如来礼拝)……」とか(←日本神話に浄土教をはめてすみません!)、数音節の単位を並べて作っているかのように見えます。

たぶん、短い単語を並べるようなリズムの作りが、ボソボソつぶやき風に上下するイントネーションとともに、「目の詰まったおしゃべり」に聞こえるんでしょうね。

「大阪俗謡による幻想曲」などでは、しばしば「単語」が小節をまたいで、せわしなく揺れて、細かい出入りが続くのだけれど収支の帳尻はあってしまう。

おしゃべりとか雑踏を連想するところかもしれませんし、言ってみればだんじり囃子も、「コンチキチン、コンチキチン……」と長短のいわば「音節」をびっしり並べて出来ています。あるいは、漢字がびっしり詰まっている漢訳仏典(いわゆるお経)は、4文字や5文字で区切って読み上げますが、意味・内容の切れ目はかならずしも4or5文字のリズムと一致しているわけではなく、ポリリズムの芽のようなものをはらんでいるかもしれません。

このあたりを上手く整理すると、色々なことがつながってきそうですね。

[1/18 追記]

もう少し書き足します。大栗裕の潜在的なポリリズムを、たとえばこんな風に説明できるのではないでしょうか。

上に揚げた「神話」の10/8拍子の場合は、潜在的に4分音符のビート(いわば5拍子)がずっと流れているうえに、6/8と4/8が乗っています。これは比較的見やすいと思います。

そして「大阪俗謡による幻想曲」の上の譜例は、おそらく、2/4の「1、2、1、2」のうえに、4拍子を3:3:2で3分割するリズムが乗っているのだと思います。

前半で4拍子を3:3:2と3等分して、そのあとで2分割のリズムに戻す呼吸は、ラテン音楽で言うクラーベとほとんど同じですね。

このあたりに大栗裕の「ラテン音楽好き」(これは昭和30年頃の流行でもあり、色々なところで言えると思っています)が現れているようにも思います。大阪の夏祭りのうだるような暑さのイメージには、ラテンの血が混じっているように見えるのです。

(この話はたぶん込みいっていて、まず第一次大戦後のヨーロッパを席巻した新古典主義に、いわゆる「ジャズ」として南北新大陸のリズムがどっと入っています。大栗裕の世代で洋楽に入った人は、ジャズにはまった人もいるし、そこまで「不良」になれない人は、新古典主義経由でそういう新しいリズムに触れたのだと思います。(ストラヴィンスキーは当時の都会の洋楽好きな若者のいわばアイドルだったと思われます、武智鉄二にとっても伊福部昭にとっても……。大栗裕は朝日会館でシゲティ(←バルトークの友人)を聴いて、新しい感覚に惹かれたようです。)そして戦後、今度は北米に占領されちゃいましたから、防波堤なしにどっともう一回ラテン音楽が入ってきて、ここで、どこが頭でどこが尻尾なのかよくわからない状態になる。(黒澤明「野良犬」や木下恵介「日本の悲劇」の音環境ですね。)こうした混沌を大阪の夏祭りのだんじりのリズムでまとめ上げたのが大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」なのかもしれません。)

[参考だんじりのリズムについては、こちらもどうぞ。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100727/p1

3:3:2のパターンは一番最初のチャンチキのリズムに由来すると考えることができそうですね。

このリズムの2〜3小節が3:3:2になっていて、この譜面に続くチャンチキの後半も3:3:2ではじまります。この3:3:2は、天神祭のだんじり囃子にはない大栗裕独自の工夫です。]

      • -

また大栗流ポリリズムは、指揮者とオーケストラの関係という視点で解釈すると話が広がるかもしれません。「俗謡」は、指揮者様が「オイッチニ、オイッチニ」と手旗信号のように2拍子を降り続けていれば、楽員が3拍子や2拍子を適宜当てはめて面白くしてくれる、楽員が良きに計らってくれるように書かれているように見えるからです。

大栗裕の曲が演奏者に支持されるのは、こんな風に、奏者が自分たちでどんどん面白くしていける楽譜になっているからなのかもしれません。

(「俗謡」は、朝比奈さんがベルリン・フィルで指揮することを想定して書かれた曲で、大きい声では言えませんが、この楽譜は朝比奈さんが天下のベルリン・フィルを前にして恥をかかないように書かれていて、なおかつ、プレイヤーにはそれぞれ面白がってもらえる仕掛けを工夫しているように思います。そして「俗謡」の譜面は、いろんな仕掛けがあるからこそ指揮者はブレずに2拍子を淡々とカウントしなければいけない仕組みになっていますが(昨年の大阪クラシックで大植さんが振ったときも、指揮者がきちっとカウントすることでオーケストラがきれいにはまる演奏だったように思います)、一方、「神話」のほうは、大阪市音楽団の委嘱作品で、初演の指揮は永野慶作さん。こちらは4分音符の5拍子で振り続けると恥ずかしい譜面で、朝比奈さんも、ちゃんと3:3:2:2で振ったようです。)

ただし、これは決して指揮者を愚弄しているのではなく、オケマン、いわゆる「ガクタイさん」の心意気でもあろうかと思います。たとえば映画の撮影所では、大急ぎで書いた曲を作曲者(←指揮が上手いとはかぎらない)の指揮で録音する、というようなことが普通で、大栗裕も少年時代からそういう現場でやっていたようです。

「指揮者(orバンマス)はそれらしく手を振って、拍子を数えてくれたらいい。あとは俺たちがやる」という楽隊やバンドマンのメンタリティ(ちょうどドリフターズでいかりや長介がリーダー/バンマスだけれども笑いを取るのはカトチャンケンチャンだったような)と、各パートが持ち場をしっかりまもることで音が豊かになるポリリズムは、相性がいいのかもしれませんね。

(軍楽隊由来の吹奏楽にも似たところがあって、指揮者=隊長さんは堂々と威厳のある「オイッチニ」を中央でやって、奏者は、見た目にはその「強制力」に従っているように見えて、実際の音楽は、「オイッチニ」をかいくぐり、やりくりしながら進んでいる。実は、ただ従順なプレイヤーよりも、やりくりがちゃんとできる人のほうが指揮者=隊長のお覚えが目出度い、という構造があるような気がします。(人はそうやって、学校のクラブ活動の吹奏楽で「世の中のしくみ」を学ぶのです(笑)。)

このあたりのガクタイ気質は、ぐるっと一蹴して最初にご紹介したポッドキャストで菊地成孔が言っているジャズメンの「悪い子」な感性=ゲームを途中でスキップしてサボるのだけれど最後にゴールへ戻ってくる感性と通じているかもしれません。大栗裕は、ゲームから逸脱してそのままどこかへ行ってしまう「変わった子」(←前衛音楽・実験音楽はむしろこっちかも)ではないんでしょうね。)

[3/19 追記2]

それからもうひとつ、オーケストラを(主に2:3のそれほど複雑ではない形ですけれど)ポリリズムの巨大リズムマシン化するのは、ベルリオーズ「幻想交響曲」以来の乱痴気騒ぎ音楽の定番ではありますね。エマヌエル・メッテルに学んだロシア国民楽派系の朝比奈隆に近いところで言えば、リムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲やシェヘラザード。

シェヘラザードの終楽章では、4/16の刻みの上に6/16と3/8が乗ります。ポリリズムは拍子がびしっと揃った標準的な音楽との対比で、魔界や異国なんですね。

そしてこの種のオーケストラによるポリリズムを喧噪の中心で統率するのは、指揮者の醍醐味。これは、オーケストラと指揮者にとってのヴィルトゥオーソ音楽なのだと思います。(リストのメフィスト・ワルツに相当するのが幻想交響曲で、バラキエフのイスラメイに相当するのがシェヘラザードでしょうか?)朝比奈隆は、ハルビンでもシェヘラザードを振っていたようです。

リムスキー=コルサコフに学んだレスピーギが「ローマの祭」を書いていて、これを朝比奈隆が北ドイツ響でやったカオス的な録音が昨年末にNHK-FMで放送されましたが、朝比奈隆の側では、そうした異国趣味and/or国民楽派系ヴィルトゥオーソ管弦楽曲の文脈で、大栗裕を「大阪の国民楽派」と見ていたし、そのようなものとしてヨーロッパへ持っていったのではないかと思います。

[ここに書いていた「東洋のバルトーク」問題は別記事として、分離しました。http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120318]

大栗裕 : 大阪俗謡による幻想曲、ヴァイオリン協奏曲 他

大栗裕 : 大阪俗謡による幻想曲、ヴァイオリン協奏曲 他

彼の最後の管弦楽曲「大阪のわらべうたによる狂詩曲」の冒頭のファンファーレは、たぶんショスタコーヴィチの祝典序曲が元ネタ。そのあとの無調風の部分は、曲を委嘱した大阪労音が出来た頃の戦後の混乱を振り返る意味合いがあると思われますが、たぶんサディスティックでとげとげしい音作りは、レスピーギ「ローマの祭」の冒頭を参考にしているのではないかと思います。

武満徹もそうですが、大栗裕も、独自の味付けを施しながら、結構大胆というか無頓着に、既存の名曲を下敷きにしてイメージを膨らませていく作曲家だったように思います。そして1960年代にはバルトークなどの「新音楽」を下敷きにしたと思われる作品がありますが、その前の「赤い陣羽織」や「大阪俗謡による幻想曲」の頃は、(初期の武満徹が清瀬保二や早坂文雄の新作曲派協会から出発したように)むしろオーケストラ奏者としてなじんでいたファリャやレスピーギなどのフォークロア系音楽の影響が強いと思います。

そして1970年代になると、日本のオーケストラやオペラのレパートリーが広がって、クラシック音楽が「豊かな消費生活」のシンボルになったことを反映するように、半音階でカラーリングした長短調のハーモニーを使うようになります。(ここでも、武満徹が、最後にペンタトニックという「五角形の庭」に降り立ったのと似た軌跡を描いていると見ることができるかもしれません。時代の変化というだけでなく、独学でやってきた作曲家は、エクリチュールのトレーニングを受けていない分、アカデミズムの牙城である調性音楽を書くのに慎重だったということではないかと私は考えています。)最後の歌劇「ポセイドン仮面祭」やこの「わらべうた狂詩曲」、それから、4月の大阪フィルの没後30年演奏会でやる交声曲「大証100年」は、調性回帰後のスタイルです。