メルヘンの主人公は民謡を歌わない

先日「魔弾の射手」のDVD(コンヴィチュニーの演出)を見直していて、そういえばドイツのロマン派オペラは、なるほど民謡調の節が出てくるけれど、主人公(男女とも)は民謡を歌わない、と気づく。ドイツ・ロマン派のメルヘンの主人公の意識は近代人だ、という指摘を学生の頃読んだのを思い出した。

民謡を「発見」して詩や芝居に仕立てた人たち本人はインテリだった、という話のヴァリアントなんでしょうね。

……というようなことを考えて、これは後出しにならないように、早めに書いておいたほうがいいかもしれない、と思ったのでメモしておきます。

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18世紀のジングシュピールを仔細に調べると色々なことがわかるのでしょうが、とりあえず「魔笛」はわかりやすくて、パパゲーノ(=座長シカネーダ)の歌は民謡調だけれど、タミーノのアリアは当時としては前衛的に新しいスタイルで、パミーナのアリアも喜劇に似つかわしくないほどシリアスで、どちらもモーツァルト畢生の作ということになっている。(だから前者については、ダールハウスが『メロディー論』(邦訳:メロディーの理論と実際)で、分析し得ない一回的な閃きとは何か、を論じる文脈で取り上げているし、後者をケルターボルンが音楽分析の入門書で論じている。)

役の身分の高低と、音楽の様式の高低が対応しているわけで、タミーノと弁者の生真面目な問答が台詞ではなく、グルック流改革オペラ風のレチタティーヴォ・アコンパニャートなのも同じ考え方で理解できそう。主人公や高貴な人物に、格式が高かったり、実験的・先端的な歌が割り振られている。

この文脈で「第九」も面白いことになっていて、歓喜の歌は民謡調、もしくは、Volkslied を直訳風に日本語化して「人民の歌」という感じだけれど(当時「発明」されつつあった National anthem の様式ですね)、4人の独唱者は、最初のバスこそ、生まれたばかりの素の旋律を歌うものの、トルコ行進曲のところのテノールは合唱を導く旗手の感じに変奏しているし、独唱のアンサンブルで歌うところも華麗に装飾されて、宮廷歌手が歌っても恥ずかしくない様式に「格上げ」されている。

このあたり、貴族に認められるような歌手にとって、舞台上で「民謡」や「人民」の調子で歌うなど考えられない、という「様式の高低」意識があったように思える。(歌舞伎役者が大衆剣劇には出演しないようなものか。)

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「魔弾の射手」も、マックスが民謡調の有節形式で歌うことはなくて、最初に歌うのはシリアスなクーノとのやりとりだし、アガーテのほうも、前奏がすごく美しい Leise, leise のアリアがある。(このときのオブリガートがチェロなのも、従妹のエンヒェンのバラードにヴィオラ独奏が入るのと比べて「格上」感がある。コンヴィチュニーの演出だと、ヴィオラのお姉様が大活躍する美味しい役になるけれど(←当初は男性が悪魔の扮装で弾く予定だったのだけれど、ハンブルクのトップが二人とも女性だったから女性でやることになったらしい、3人の女性が作るあの素晴らしいシーンは偶然の産物だったみたい)。)

とはいえ、マックスやアガーテがイタリア風のベル・カントでコロラトゥーラなメロディーを歌ってしまっては、同時代文学の「メルヘンのなかの近代人」にならないので、ここが作曲家としての工夫のしどころ。飾り気はないけれど「内面」を感じさせる様式を見つけるのが、ロマン派オペラや台詞劇の劇中歌を書くときにウェーバーが苦心したところであったらしい。(劇中歌をなぜこういう風に作曲したか、原作者の批判に答える論争的な文章が残っている。)

そして「魔弾の射手」はあくまで歌あり台詞ありのオペラ・コミック(ウェーバーが劇場で上演したレパートリーは、ドイツ語圏のジングシュピールと、フランスのコミック座で上演されるような台詞入り音楽劇のドイツ語訳詞上演がほとんどで、ジングシュピールだって元をたどればルソーに行き着くわけだから、イタリアの歌唱術とフランスの演劇術のいいとこ取りがドイツの様式だ、という典型的な「混合趣味」の風土で当時のドイツ・オペラは運営されていたことになり、「魔笛」や「フィデリオ」、そして彼自身の新作は、そういう「混合趣味」の最先端)だったのだけれど、

「オイリュアンテ」は、ウィーンの宮廷劇場からの委嘱なのでグルックの改革オペラをさらに先へ推し進めようということだったのか、ジングシュピールやオペラ・コミックなら台詞のやりとりで進めるであろうようなところを、全部「メルヘンのなかの近代人」の調子で通作して、それが物議を醸すことになった。

ドイツのロマン派オペラは、物語はメルヘンなのだけれども、どうやら作曲家たちにとっては、主人公をいかに「モダン」に仕立てるか、という裏テーマがずっとあったと考えた方がいいらしい。

これが「音楽の散文」という話で、これこそがワーグナーの楽劇やシェーンベルクの表現主義へ至る19世紀ドイツの音楽劇のデクラメーションにおける「モダニティ」の精髄なのだ、という説をダールハウスとダヌーザーが展開しているし、おそらく、「演出の劇場」で色々なことをやれるのは、もとから、ドイツのオペラにこういう問題系が装填されていたからだと思われる。(コンヴィチュニーが「魔笛」と「魔弾の射手」とワーグナーを気合い入れて演出して、グルックの改革オペラをやりたがるのは、ああ見えても、ドイツ音楽劇の「嫡男」意識があるんだと思う。)

少なくとも音楽劇という分野は、ひと頃のナショナリズム批判が構想したほど単純に「ドイツ・ロマン主義=民謡の発見」の等式では処理できないかもしれず、ドイツのナショナル・アイデンティティ論は、このあたりをどう切り抜けることになるのか……。

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一方、ちなみにリートのほうは、さすがに教養市民の読書会・朗読会のような社交の場、いわゆる「読書する公衆」の拠点で育ったジャンルだけあって、かなりわかりやすく、18世紀後半からシューベルトまで民謡調がデフォルトになっているけれど、これは、どこまで「私の内面(肉声)」を響かせる様式だと認識されていたのかどうか。

リートの民謡調の「歌いやすさ」が、ディレッタントのための歌なので平易で覚えやすく書く、という実用だけが理由ではなく、それこそ「民の声」の理念と結び付くところがあるとしても、あくまで「役割を演じる」意識がかなりあとまであったんじゃないか。シューベルトが作曲したミュラーの「水車小屋の娘」はもともと芝居仕立てだったし、都会の教養市民が狩人や職人や村娘の詩を歌うのは、「やつし」ではなかったのか。

ルソーが「野蛮人」と言ったのをドイツ人が真に受けて、民謡として見いだした「内なる野蛮」が彼らのアイデンティティになった、というように単純な話ではなく、おそらく、そのような「役割」を国際情勢(?)のなかで引き受けて演じながらも、「自我」を別のどこかへ確保する程度のことはやっていたような気がする。

シューマンのような真性の教養市民は民謡調で歌わないし、シューベルトも「冬の旅」を経て最晩年にハイネに作曲したときには、かなりモダンな口調になっている。ここでも、ウェーバーのオペラで起きたような「メルヘンのなかの近代人」が発見されているように見える。

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20世紀のいわゆる「言語論的転回」のこちら側の立場だと、オペラにおける「音楽の散文」やリートにおける「私」なるものは、ないものを「構築」したと言わなければならないのかもしれませんが、そうだとしても、何がどのように「構築」されているか、ということは、音楽の問題として解析しないとしょうがない。「私」は構築されたイデオロギーかもしれないけれど、そのような観念にふさわしい音の動きはこれだ、と判断するのは音楽の問題だろうから。(作者の専決事項ではない色々な脈絡があるとしても。)

音楽と感情

音楽と感情

19世紀の器楽がどうやって「近代」を立ち上げたか、という話は既に散々議論され尽くして今更感があるけれど、歌う行為において19世紀に何が起きたのか。

話し言葉のリズムやイントネーションを模倣するのがリアリズムだ、とか、ライトモチーフを設定・展開すれば思想を語っていることになるのだ、とか、そんなことで片付く話ではないはずで、西洋の「歌の近代」は、いわゆる構造的聴取とも、ナシュナル・アイデンティティともちょっと違う話として、整理する意味があるかもしれない。

(私がぐちゃぐちゃ言わなくても、エライ大学の先生がしかるべき文献で必要な文脈を押さえながらまとめてくれたらそれで済みそうなお話ではありますが。)

音楽と言語 (講談社学術文庫)

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シューベルト音楽と抒情詩

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