再掲

(いつものように招待受付へ行くと)
ホールの人「白石さん、こちらへどうぞ」(と脇へ呼ばれる)
同「7月から白石さんはご招待しないことになりました」
私「ああ、そうですか」
ホールの人「せっかくおいでくださったので、今日はこちらからお入りください」(とチケットを渡すことなく、そのまま中へ誘導しようとする)
私「いえ、結構です」(と即座に退席)

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以上、数十秒で淀みなくやりとりは終了。

午後の中途半端な時間だったので、このまま帰ってもすぐに何ができるわけでもなし、もともと義理で嫌々来たわけではなく、招待であろうとなかろうと興味があるからこの演奏会へ時間作って足を運んだわけですから、だったらお金払って聴けばいいだけのことだと当日券を買って、演奏を聴いたのでした。

というのが「事件」の「すべて」なのですが、どうやらホールの見解としては、

「白石さんに、どうしてご招待できなくなったのか、ご説明しようとしたのに、白石さんはこちらの説明も訊かずに出て行かれた」

ということになっているらしい。

それは、あまりにもそちら様に都合の良すぎる解釈なので、改めて、以上、再掲しておきます。

「もう招待しない」と出会い頭に言われて、そのあとで、「今日だけは入れてやる」と恩着せがましくいわれても、まっとうな自尊心のある人間だったら普通は断ります。いきなり顔面を殴られて、直後に手を差し出されたとして握手するか、という話ですから。

考えられる可能性としてすぐに思いついたのは次の2つ。

  • (a) 白石は、「今日は入れてあげます」と言われたら嬉しそうにその場に残るヘタレに違いなく、そうなったら交渉の主導権はこちらが握ったも同然なので、それからこちらの言いたいことを言えばいい、と考えた。
  • (b) こんなこと言ったら怒って帰るだろうなあ、というのは折り込み済みで、どうせ白石との関係はこれっきりなのだから、内部的には「こちらの説明も訊かずに出て行った、やっぱり白石というのはおかしな奴ですよ」と言っておけばいい、と考えた。

(a)であれば、白石は完全になめられている、ということなので、再びここから怒りを発動させていいのかもしれない。

(b)であれば、いかにも大きな組織がやっかい払いするときにありがちなダブル・スタンダード(外向きにはつっけんどんで、内向きには、誰に対しても誠心誠意の対応をしています、という顔をする)なので、関わり合いになるだけ損だと放置する。

というところでしょう。

でも、現状では、第三の可能性を想定しておいたほうがいいかもしれない。

社内では若いもんがえらい威勢良く気勢をあげており、短期的には一定の業績を上げそうなのでそれを止めるわけにはいかないが、社外的にやりすぎ感が兆しているのは否定しがたい。この温度差をどうにかするのが管理者の務め。とはいえ今は若いもののやりたいようにやらせよう、という判断が働いているかもしれない。

周りが見えない勘違いを含みつつ突進する人は、いずれどこかで足が止まるものだし、どこかへ見事に走り抜けることができたとしたら、それはそれで大したもの。興行に浮き沈みはつきもの、何が正解というものでなし、ほっときましょう。

(話変わって、倍返しなドラマを昨夜、母のところで初めて見ましたが、昔よくあったサラリーマンものですよね。懐かしいからオジサンたちが夢中になっているのでしょうか? 「親の敵討ち」みたいなところに最後が着地するのだとしたら、逆にちょっとガッカリかも。復讐は、モンテ・クリスト伯の狙い澄ました徹底性を見習って、どこまでも個人主義で進めていただきたい。)