「コンヴィチュニーinジャパン」現象と私

[一部改稿]

これは何に対するときでも同じですが、私は物事の「裏表」なるものが訳知り顔にわかる人にだけわかっている、というような状態を放置することができない性質ですし、あと、自由に物が言えない状態も好きではない。

なのですが、どういうわけか、オペラという現象は、日本でだけそうなのか、このジャンル自体にそうなってしまう特性があるのかわかりませんが、今までの経験では、妙に色々なことがこじれるみたいなんですよね。

でも、幸運な巡り合わせで、どうやら、「関西でコンヴィチュニーが何をしたか」ということに関してだったら、割合すっきりと物が言えそうなので、8/8の午後に私が何を体験したか、という昨日の作文に続いて、とりあえず、そこをまとめておくことにします。

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クラシックジャーナル 046 オペラ演出家ペーター・コンヴィチュニー

クラシックジャーナル 046 オペラ演出家ペーター・コンヴィチュニー

コンヴィチュニーの経歴がどういうもので、日本のオペラ関係者が彼をどういう経緯で認識して、彼が日本で色々な仕事をするに至ったか、そのあたりはアルファベータ社のコンヴィチュニー本の最初の山崎太郎さんの文章で概略がつかめる。

  • 2001年 バイエルン州立歌劇場「トリスタンとイゾルデ」(同一プロダクションのDVDあり)
  • 2006年2月 シュトゥットガルト歌劇場「魔笛」
  • 2006年4月 二期会「皇帝ティトの慈悲」 *コンヴィチュニー初来日
  • 2007年 ドレスデン歌劇場「タンホイザー」
  • 2008年4月 大阪国際フェスティバル/オーチャードホール「アイーダ」
  • 2008年9月 二期会「エフゲニ・オネーギン」
  • 2011年2月 二期会「サロメ」
  • 2013年5月 二期会「マクベス」

ということで大丈夫でしょうか。既に8演目が日本で上演されているんですね。(ただしコンヴィチュニー自身が来日して稽古をつけたのは二期会の4公演のみ。)

しかしながら、関西でみることができたのは、このうち「アイーダ」だけですし、ひょっとしたらNHKあたりで放送されたものがあるのかもしれませんが、DVDで市販されているのは「トリスタン」だけですから、まあ、東京で火が付いたとしても、関西におったら、何のこっちゃ、となるのも無理はない。逆に、東京以外の人間が何か言ったとしても、「君たちは、上演を観てもいないのに、今頃になって何を言っているのかね」みたいなことになっても不思議ではない。(そんな風に東京人が偏屈・偏狭なわけではないかもしれないけれど、まあ、実際に観てないんだから、強いて何かを言う気になりませんわな、普通に生きとったら(笑)。)

こういう風に、東京とそれ以外では、コンヴィチュニーに関する経験値に圧倒的な差があることは、まず、条件として押さえておく必要がありそうです。

コンヴィチュニー、オペラを超えるオペラ

コンヴィチュニー、オペラを超えるオペラ

この本が青弓社から出たのは2006年5月のようですから、「魔笛」と「ティト」が相次いで上演されて、コンヴィチュニーを日本で売り込むのはここだ、というタイミングでの出版だったように、今から振り返ると見えますね。

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で、私自身のことです。

大きな流れとしては上でまとめたようなことになりそうですが、私自身は、以前も何度か書いたように、コンヴィチュニーの名前は2003年には聞いていました。

日本音楽学会関西支部例会 シンポジウム「現代におけるヴァーグナー上演の意義と問題」(2003年10月4日 14:00〜17:00 大阪音楽大学ミレニアムホール)

コーディネーター、司会:中村孝義(大阪音楽大学教授、ザ・カレッジオペラハウス館長)

パネリスト:

  • 【欠席】海老澤敏(新国立劇場・副理事長、全日本音楽学会会長)
  • 岡本稔(音楽評論家)
  • 東条硯夫(音楽評論家)
  • 三宅幸夫(慶應義塾大学教授)

こういうのがあって、音楽学会の例会なのだけれども、30人くらいいたかどうかの客席の過半数はワーグナー協会の皆様、という集まりでございました。

  • 三宅幸夫「ヴァーグナーのオペラ演出における読み替えの意義と問題」
  • 岡本稔「現代ドイツにおけるヴァーグナー上演の実態と評価」
  • 東条硯夫「ヴァーグナー上演におけるスコアのエディションとカットの復元について」

とパネリストの報告があって、そのあとが中村先生の司会によるディスカッション。このうち、岡本さんが、いわゆる「読み替え」の実例として、コンヴィチュニーが「読み替え」の急先鋒で、ローエングリンを学校の教室に置き換えたこと(DVDあり)、シュトゥットガルトでやった4人の演出家によるリングの彼の担当、「神々の黄昏」では、ジークフリートがターザンみたいな格好をしていたこと(DVDあり)に言及されていました。

今から思えば、東条さんはこのとき既に「スコアのエディションとカット」のお話をしていらっしゃいますから、何と申しましょうか、一貫しているということではあるでしょうか。

まだ、「読み替え」なるものが一種のイロモノ扱いで、そのあと、数年後から二代目監督・沼尻竜典率いるびわ湖ホールで数々の公演を観ることになるとは予想できなかった牧歌的な頃でございます。

そうして2008年の「アイーダ」があって、その次が2010年の夏のコンヴィチュニーのワークショップ。

関西では、「コンヴィチュニーという演出家がいるらしい」というところから、公演をひとつ観ただけで、本人がやって来て濃密な稽古で手の内を明かすところへ一気に飛んでいるわけです。

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」Op.77(独語歌詞) [DVD]

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」Op.77(独語歌詞) [DVD]

大学の音楽史の授業で使える映像を探すなかで、たぶん2007年頃だと思いますが「魔弾の射手」のDVDは購入していましたが、今から思えば迂闊なことに、この演出がコンヴィチュニーだと気づいたのは購入後しばらくしてからでした。上記のシンポジウムの刷り込みがあり、コンヴィチュニーのことを「ワーグナーを変な風に演出するドイツのポスト・モダンな父殺し世代のひとり」と狭いイメージ(←ひょっとしてこれが、日本のオペラ界における陰の圧力団体とウサワされていなくもない日本ワーグナー協会の公式見解なのか?東条さんも会員らしいけど(笑))で記憶して、コンヴィチュニーがウェーバーと結びつく=ワーグナー・オタクに終わらぬ広い視野と射程のある仕事をする人だと思っていませんでした。

「魔弾の射手」のDVDはライナーノートとか一切読まずに観て、同じ頃入手した「ピリオド・アプローチ」が売りの「魔弾の射手」のCDなどより、演奏がはるかに生き生きして素晴らしい。ウェーバーの音楽のドラマはこれだよ、と魅了されたものの、19世紀初頭の音楽とロマン主義の基本を説明する講義で、いきなりこの映像を使うのは難しそうだと思い、個人として楽しむだけで終わってしまいました。演奏がよかったので、メッツマッハーというかなり若く見える指揮者の名前は記憶に留めましたが、コンヴィチュニーが彼との共同作業に大変満足していたことを知るのは2013年のびわ湖ホールのアカデミーでのこと。メッツマッハーが日本で仕事をするようになるとは予想できませんでしたね。

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で、びわ湖ホールでの取り組みです。

2010年の「蝶々夫人」は、そういうのがあるらしい、あったらしいというのを何となく聞いていた程度。翌年またやるというので情報に気をつけて、2011年の「ボエーム」は、とりあえず最終日の発表会だけ、お願いして見せていただきました。

[以下、記憶違いがあったので改稿]

客席も全部使った上演になっていて、色々と言えることがありそうなのだけれど、そのためにはやっぱり最初からちゃんとつきあわないとダメだろうと、あっちこっちで色々な動きが同時進行する会場を眺めながら、思った気がします。

次の年2012年は「魔笛」と発表されたので、これは必須と見定めていたところ、同年春にはびわ湖ホールでピーター・ブルックの「魔笛」もあったりして、なかなかいい流れじゃないかと楽しみにしていたのですが、残念ながら、コンヴィチュニーの体調不良で中止。

「魔笛」自体は一年後に持ち越されることになったのだけれど、これとは別に年度末ぎりぎりの2013年3月、これまでの公演DVDを使った「私の演出法」の解説と、次回予告的な「魔笛」のいくつかの場面のミニ・ワークションを組み合わせたアカデミー特別編、いわば補講が開催されたのは、1年の空白を作るわけにはいかないというコンヴィチュニーの強い意向があったと聞いています。(大学当局の指示がなくても自主的に「補講」を組むのですから、コンヴィチュニーは、ニッポンの大学教員よりよっぽとマジメです。)

そうしたら、何かがどこかに伝わったのか、予定していた人がキャンセルになったのか知りませんが、この特別編のレポートを書いてくれないかという話が『音楽の友』からあったので、これ幸いと、他との兼ね合いで半日抜けた以外は全日程出席させていただきました。

1回目の評判をききつけて、2回目をまずは見学させていただいて、3回目は仕事として行かせていただくことになったので、私としてはごく自然に物事が進んで、ありがたいことだと思っていたのですが、問題はここから(笑)。

このときの客席で、長木誠司さんとの立ち話でだったと思うのですが、「関西からは誰も来ていないのが残念。どうなってるんでしょう」という風に言われて、ガーン、「時間を巻き戻して二人で生きていきましょう」のデュエットで夢見る二人に現実を突きつけるトラヴィアータ終幕の3本のトロンボーン(チューバも入る!)ですよ(笑)。

過剰に前のめりになるわけでもなく、かといって不当な偏見で忌み嫌うような態度も慎んで、割といいバランスで接した結果、こうしてほぼ全日参加にこぎつけたのだから、いい流れだと思っていたのに、アカデミーの「中の人」から、「関西人はコンヴィチュニーに対して不当に冷たい、こんなに素晴らしいことをやっているのに、いったいどうしたことか」みたいに捉えられているとしたら、そら大変ですがな。

だったら次も全部行ったろうやんけ、と、心に決めたのでした。

だって、ここまでのまとめでおわかりいただけるかと思いますが、そもそも、関西には、「コンヴィチュニー来たる!」で熱くなれるだけの土壌・前提はまったくない。東京とは、温度差ありまくりなわけですよ(笑)。そういうことを全部すっ飛ばして、「せっかく関西でやってるのにね」みたいな東京目線で物を言われては、たまらんじゃないですか。

……ということで、この2013年3月を境に、わたくしは、コンヴィチュニーinびわ湖、というより、「コンヴィチュニーinジャパン」現象に対して、相当「けんか腰」で臨んでおります(笑)。

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具体的には、「何だとぉぉぉ!」と思わせられてしまった2013年3月以後、けんか、ですから、弱みを見せるわけにはいかないということで、彼が日本に来たら全部行く、という、臨戦非常警戒態勢でございます。

実際の公演を観ずに何か言うのは無責任だろうと思うので、同年5月の東京の「マクベス」はダブルキャストを両方観て、8月の「魔笛」は、京都新聞の批評枠で取り上げることにしていたら、再び音友から執筆依頼が来たので、いちおう仕事として成立する感じになって、他の用事で一部抜けた以外は毎日大津へ参りまして、そうして今回のトラヴィアータです。

前回の「魔笛」で、コンヴィチュニーは、その場にいる人間全員が当事者だ、という姿勢で芝居を構成していく人だとわかり、「取材で来ました、てへ」みたいのだとどうしても居心地が悪いので、今回はお金を払って聴講という形で、全日程に参加させていただきました。その価値があると思いましたし……。

そうして一般聴講生というスタンスで参りますと、半身で「てへ」な感じで来る人の姿は、結構目立つし、「なんだコイツ」って思えてしまうんですよ。その気配を自分で気づいて何とかしろよ、と。

これは「けんか腰」の身にしてみれば、格好の標的である、と、まあ、事情の概略は、そういうことです(笑)。

(今年は、聴講生の総数はさほど変わらなかったそうですが、つまみぐいじゃなく毎日通う方が多く、結果的に出席率が高かったようです。この講座とのつきあい方のこつが皆さん飲み込めてきつつある流れがあったので、なおさら、何か勘違いしてる感じがあると、目立っちゃったのかもしれませんね。)

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しかしまあ、今度でびわ湖は終わりだということですから、一応、一段落なのかな、と思っています。武装解除(笑)。

こっちから来てくれと頼んだわけじゃないはずなのだけれど、会いに行かないのはこっちが悪い、みたいな言いがかりをつけられそうな、わけのわからん状況が発生してしまったので、なんじゃそりゃ、と思いながら足を運んでみたら、予想以上に面白かったし、予想外に強く深く得る物があったから、まあいいか。と、そんな感じですね。

(東京からの人たちは面識がないから気づかなかったかもしれないけれど、去年も今年も、関西の音楽担当新聞記者さんが何人か稽古や発表会にちゃんと来てらっしゃいましたよ。そして去年も今年も、忙しいスケジュール、現在の紙面構成では記事にしにくい案件であると思われるにもかかわらず、2日、3日と足を運んだ人がいた。)

東京が彼のことを最終的にどう総括するのか、それは好きにやってくれたらいいですけど、関西とコンヴィチュニーの関係はその程度だし、なかなか、現状がそれ以上になるのは、難しいと思いますねえ。土台がないのだから。そしてしかし、その程度の関係しかないからこそ、ビジネスっぽいシガラミなしに、おもろいところは素直におもろいと言えた、言ってよさそうな巡り合わせになったってことじゃないかと思います。

どうしてこの人たちは必死の形相で、おもろいことを素直に面白いと言えない感じに何かを堪えているのだろう、みたいなことも、あっちこっちで、くっきり浮かび上がって見えてきたりして、勉強になりました。

アカデミーの一番最後、コンヴィチュニーのクロージングのスピーチのあとで、「5年間参加した聴講生のひとりとして」ということで、長木さんが観客席で立ち上がって存続を訴えたのは、ほんとに毎日来てらっしゃったからこその重みのある言葉で、かっこよかったです。コンヴィチュニーという存在を「強烈な触媒」として投入して巻き起こったドラマは、それぞれの立場をそれぞれの人が立派に演じきったと言えるのではないでしょうか。

続編、何らかの形であってもいいかもしれませんしね。Cosi fan tutte という「フィガロの結婚」のなかの台詞が次の問題作を生み出したように、思わぬ化学反応で局面を打開するのがドラマの面白さだと思いますし。さて、どうなるか。オペラはみんな、こうしたもの。対立・葛藤・緊張がなければドラマにならぬ。