ゲーテとシラーの戯曲

ファウスト〈第2部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

ファウスト〈第2部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

『ファウスト』第1部は、トゥーレの王やグレートヒェンの糸紡ぎの歌をシューベルトなどが作曲して、オペラにもなっているから、あらすじくらいは知っているし、第2部も、最後のところはマーラーの千人の交響曲でどんな言葉が並んでいるのか、わかってはいるけれど、最初から順にぱらぱらページをめくっていくと、第2部に来たところで、なんじゃこりゃ、と思いますね。名作・傑作というより、奇書だと思う。

池内紀訳の集英社文庫版は、巻末のエッセイで、多和田葉子が、妖怪大集合めいた言葉の連なりを音読する楽しみがある、と書いていて、なるほど、上演不可能なようでいて、やっぱり、戯曲として書かれたことに意味があるのか、と、良いヒントをもらった気がした。

ところで、シラーの「ヴァレンシュタイン」は、名前だけは知っていたけれど、翻訳を手にとってみたら、こんなに長大だったのかと驚愕した。

ヴァレンシュタイン (岩波文庫)

ヴァレンシュタイン (岩波文庫)

わずか3日間の出来事なのに……。

カール・マリア・フォン・ウェーバーが、オペラや芝居のカットは是か非か、自説を開陳している文章があって、そこで、「カットは作者への冒涜だと君は言うけれど、まさか、ヴァレンシュタインを通してやれるとは思わないだろう?」という言い方をしているのは、こういうことだったのか、と、ようやくわかった。

ウェーバーは、途中で好き勝手に客席を出入りして、気に入ったところだけつまみ食いする昔ながらのコンサートや劇場の客のあり方には不満で、その意味ではメンデルスゾーン、シューマンやワーグナーを先取りする問題意識を持っていた人だけれど、

「だったら、客の集中が途切れないように、上演をテキパキ進めればいい」

と現実的に考えていたみたい。

だから彼のオペラやコンチェルトは長くない。

ただしそれは、当時まだ、1時間以上かかる交響曲や、4、5時間かかる音楽劇を身じろぎもせずに聴き続けろ、とゲージツカが聴衆に強制できる時代になっていくとは想像できなかったからでもあると思う。

ワーグナーの長い音楽劇の発想は、オペラの現場からは、たぶん出てこない。上演できようができまいが巨大な戯曲を書いてしまうゲーテやシラーのような人が「偉大な詩人」扱いされる国だったから、ああいうことができたのかもしれませんね。ワーグナーは、作曲に取りかかる前に、オペラの台本だけ先に出版する、というような詩人めいたこともやっていますし。

ドイツの劇場文化は、やっぱり変だ。みんな、本を読むのが好きすぎる。