山羊の歌と行列の歌

ついさっきまで、悲劇と訳される tragedy -> tragoidia は山羊(tragos)+歌(ode)、喜劇と訳される comedy -> comoidia は行列(comos)+歌(ode)なのだということすらわかっていなかったので、無知にもほどがあって、何も偉そうなことは言えませんが、

(諸説あるにせよ、tragoidia は何らかの神事、comoidia は神事の前後の共同体のデモンストレーションっぽい何かだったのでしょうから、世界の色々なところにありそうな祭祀のパターンからそれほど大きく外れていなさそうですね)

ホフマンスタールのエレクトラがソフォクレスに依拠した、と言われるのはどういうことかと確認したら、他にも色々ちゃんとした論じ方があるのでしょうけれど、とりあえず妹クリュソテミスはソフォクレスにだけ登場して、アイスキュロスやエウリピデスには出てこないんですね。

ギリシア悲劇〈1〉アイスキュロス (ちくま文庫)

ギリシア悲劇〈1〉アイスキュロス (ちくま文庫)

ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス (ちくま文庫)

ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス (ちくま文庫)

ギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

ギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

ギリシア悲劇〈4〉/エウリピデス〈下〉 (ちくま文庫)

ギリシア悲劇〈4〉/エウリピデス〈下〉 (ちくま文庫)

で、日本神話の伝承が古事記より前に遡ることができないように、トロイ戦争なるものとそこでの英雄たちの活躍はホメロスのイリアスとオデッセイアが出所で、作者とされるホメロスやトロイ戦争は、そもそもの実在が疑われたり、色々な変遷を経て今日に至っているらしい。

ホメロス―史上最高の文学者 (「知の再発見」双書)

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ホメロスがどのように今日へ伝えられたか、順にたどると、「叡智の殿堂」として最近「意識高い系」な方々に人気のアレクサンドリアの図書館が登場したり、ヨーロッパではギリシャ関係がヴェルギリウスなどローマ時代に翻案されたラテン語文芸に置き換えられていた話があり、ルネサンス期に翻訳を添えて出版されたことでホメロス復活に火が付いたという「伝統の創出」系の話題とか、あとで山師だったことがわかってきたシュリーマンの遺跡発掘とか、ユーゴスラヴィアに辛うじて残っていた口承文芸の研究から見えてきたオーラル・コンポジションの問題(バルトークも若干絡む)とか、人文科学をかっこよくリニューアルする最近の動きにジャストフィットなトピックが、ホメロスの周囲に続々と出てくるようです。

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

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イリアス〈下〉 (岩波文庫)

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三十年戦争を3日間の出来事に集約して語るシラーのヴァレンシュタインの趣向は、単に三統一の原則というだけでなく、トロイ戦争をアキレウスの話だけで語るイーリアスですよね。たぶん。

で、ホフマンスタールとシュトラウスは、ヴィンケルマンを引き合いに出して彫像の古典美などと語り合っていたようなので、ドイツの教養人らしく18世紀を中継点にしてはいたようですが、大理石の「重厚な手応え」のようなものを古代ギリシャと結びつけるのは、おそらく、遺跡の発掘が進んだ19世紀末の感覚なんでしょうね。

城壁を壊してヨーロッパの都市を再開発するのと同じ「土木技術」が、古代の遺構と数々の財宝を、まるで石炭や鉄鉱石を採掘するかのように地中から掘り当てるのが、考古学の遺跡の発掘ですもんね。

(シュトラウスのギリシャ趣味は、彼がアヴァンギャルドから撤退して保守化するとともに土木工事風のゴツゴツした手触りが消えて、ロココ風貴族趣味に回収され、現実感を失っていくようですが……。)

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で、ホメロスの叙事詩そのものでなく、山羊の歌であるところの tragedy は、どういう経緯で今日に至っているのだろうと少し検索してみたら、

蜷川幸雄のギリシャ悲劇の翻訳台本を担当した山形治江のインタビューがみつかった。

http://www.performingarts.jp/J/art_interview/0612/1.html

日本でのギリシャ悲劇の翻訳と上演の歴史を、シェークスピア劇の場合と対比して説明してくれていたりして、わかりやすい。

日本のギリシャ古典研究がドイツ経由であるらしいのが面白いですね。ワグネリアンがグルックによるオペラ・セリアを上演したのは、そういう背景があったのか、と。

で、思うのですが、17、18世紀に宮廷オペラの台本を準備した人たちは、何を典拠にしていたんでしょうね。フィレンツェのカメラータが古代ギリシャ研究の拠点みたいな感じだっただろうことはわかるのですが、ヴェネツィアやナポリや他の都市でオペラ・セリアを量産できたのは、どうしてなのか。台本作家たちはギリシャ古典が読めたのか、ラテン語文芸やイタリア語への翻訳で間に合わせたのか。フランスの場合はどうなっていて、19世紀のロマン主義作家たちが相変わらず時々ギリシャものを書いているけど、そのときはどうしていたのか。

ギリシャ神話は当時の宮廷人や知識人の基礎教養だった、とおおざっぱに言われるけれども、その実際はどんな感じだったのか、気になります。こういう風に外堀の台本作家の側から攻めていくと、そうしたテクストに作曲したり、そのテクストを歌ったりした作曲家・音楽家の「教養」がどの程度だったのか、見定める手がかりになるんじゃないかと思うのです。

で、最終的には、

「現在のニッポンの音楽家(とりわけオペラ歌手)は、他の時代や地域の音楽家に比べて、しばしば文学者から見下されているほど際だってバカだと言えるのか?」

そこのところをはっきりさせたい。

わたしゃ、ニッポンの音楽家は際立ってバカだ、みたいな自虐に与したくないですから。