これは本への批判ではなく、改めて読み直して考えたこと、すぐ何かができるわけではない自分自身への宿題のつもりで書くのだが、
ヴァーグナーの「ドイツ」―超政治とナショナル・アイデンティティのゆくえ
- 作者: 吉田寛
- 出版社/メーカー: 青弓社
- 発売日: 2009/10
- メディア: 単行本
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この本は、先に刊行されたけれども元来は「“音楽の国ドイツ”神話の系譜学」シリーズの結論部分だった議論なわけで、どこにつなげればいいかと考えると、ワーグナーの出発点とされるコスモポリタニズムが、実は前世紀の混合趣味をひきずっているんだと思う。
で、なぜそういうことが起きるかというと、著者はそういう可能性を想定していないけれど、私は、繰り返しになるが、ドイツの劇場の現実がそういうものだったんじゃないかと思う。
参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150316/p5
著者は、18世紀半ばの混合趣味論がヘンデルの国際的成功やウィーン古典派の国際様式で決着を見た、というストーリーで「系譜学」シリーズをまとめているけれど、
実際には19世紀になっても、ウェーバーやマイヤベーアの経歴を見ていると、相変わらずドイツのオペラ作曲家が外国で成功するときには混合趣味もしくは国際様式で行くしかなかったんじゃないかと思う。
そして重要なことは、同じ頃フォーグラーのところで学んだ二人のうちの一方が「ロマンティック・オペラ」の成功者となり、もう一方はイタリアからフランスへと移動したコスモポリタンなのは、ドイツ人が自らをどのようにアイデンティファイするかという神話や言説の水準の問題ではなく、国際的な劇場システムにおける現実である、ということだと思う。
ウェーバーの「魔弾の射手」は、ベルリンで大当たりを取り、ドイツの他の劇場で再演されただけでなく、パリでも上演されて、まもなくウェーバー自身がパリやロンドンへやってきた。そしてより若いマイヤベーアは、遅れてパリに来てグランド・オペラの帝王になった。
ウェーバーはドレスデン時代の少年ワーグナーのヒーローだったし、リガから逃亡したあとパリでマイヤベーアを頼っているのだから、彼は当然そのことを嫌と言うほどよくわかっていたはずです。
ダールハウスもいくつかの論文で軽く言及していたと思いますが、ワーグナーのウェーバーとマイヤベーアに対する評価は奇妙な揺れを見せているようで、実際の彼らの活躍ぶり、オペラの国際システムにおける位置をわかったうえでストレートにそれを認めないのは、つまりは「影響の不安」だと思う。同じ道を歩めばいいのか、それではダメなのか、揺れているからそうなるんだと思う。
私には、ワーグナーの処女論文の混合趣味風の論調は、数年前に亡くなったばかりのウェーバーの主張のエコーに見えるし、パリで書いたドイツ音楽論は、外国人相手にドイツ人の代表であるかのように語らねばならなかったがゆえの紋切り型に見える(誰しも経験することですよね)。
たぶん、この段階では、ワーグナーも先人の歩んだ道をなぞるしかないところがあったんだと思う。
そしてそういう事情がすっきり見えないのは、ワーグナー研究の問題というより、ウェーバーとマイヤベーアについて研究と認識が立ち後れているからだと思う。
私たちは、19世紀について、まだ色々知らないことがある。
[「音楽の国ドイツ」問題は、スピンオフのワーグナー本もこれで一応フォローできた気がするので、私のなかでは、ひとまず一段落かなあ、と思っております。]