音楽以前

どの楽器が今日は何回間違えたか、とか、今日は音が近い/遠い、とか、この指揮者はあと何年生きそうだ、とか、いつまでそんな話ばっかりしているのか。

そんなことがシーズン最大の話題であるかのようにスピーカーで大声で喧伝されてしまうなんて、ほんま情けないわ。

関西交響楽団が1950年に放送局(大阪放送管弦楽団)と分かれたときに人を引き抜いたせいで、朝比奈・大フィルはNHKからしばらく閉め出されていたと言われる。全国放送に流れないのは頭の上を押さえられているようで辛かった、という意味の朝比奈隆の言葉が残っている。

(のちに朝比奈がN響定期に復帰したり、NHKから賞をもらったのは、オザワがN響・NHKと和解したのに似た業界的な意味があったようだ。マスメディアは、昨日今日のことではなく、ずっと前から=三丁目に夕日が輝くいい時代であったかのような昭和後期においても、「権力」であり続けております、歴史を歪曲したらだめなのです。東京の放送局がバカで話にならんから、朝比奈は大阪の民間放送と、あとは、北ドイツ放送とか西ベルリンとか、外国の放送局とのつきあいを大事にしたの。グローバルというのは、そういう風に使う。それが「世界」の常識よ。)

露出しないのも辛かろうが、大本営発表みたいに金太郎飴な情報ばっかりガアガア流されるのもウンザリするよね。マイクロメディアが昭和のマスメディアの劣化コピーみたいになってどうするか。

ポンコツでもいいから露出を確保するのがいいか、自前でやるか、どちらでも好きな方を選べ、究極の二者択一だ、とか、お前はサンデル熱血教室か。どっちもFuckに決まっとるわ。

こうなると、それぞれが自前のメディアをもつ&強化することを考えるしかないのかもしらんねえ。

東京が何言おうと、関西のメディアには、阪神報道みたいに「井上道義復帰!」とデカデカと写真入りで一面トップ、各界の著名人からのお祝いコメントが並んでいる、というくらいじゃないと、頑張ってる甲斐がないわけじゃないですか。関西音楽新聞、それくらい、やれ! その次の号はいずみホールのオペラで粟國淳を特集しても許すから(笑)。