拍手狩りの愚:曲中・曲間に拍手が起きるのは「曲が悪い」のではないか?

ちょっと前に板尾さんが、らららクラシックに出て、「コンサートはいつ拍手をしたらいいの」という質問に答えていたが、よくわからない曲で不意に沈黙が訪れたら人は不安に駆られても無理はない、という風な思い遣りが言外にあるように感じられて、この件はそこから考え直さないといかんのではないか、と思うようになった。

人と違うところ、コンサートの常連がそこじゃないだろ、と思うところで拍手「した側」は、まるで魔女狩りのように告発・弾劾・処罰・追放されて当然であるという発想は、たぶんサイアクだと思う。クラシック・コンサートは「拍手特権を許さない市民の会」が主催する排外主義の行事ではないはずです。

人は沈黙が恐いものです。そして、平気でコンサートを聞き続けられる人間は、曲がわかってる場合もあるが、沈黙への恐れが中毒症状で麻痺している可能性もあり、むしろ、嘆かわしいことだと思う。

みだりに沈黙する「曲が悪い」んですよ(笑)。そんな曲書いたら、聴いてるほうがびっくりするじゃないか、ということだ。

そして思わず拍手しちゃうくらい新鮮にコンサートを受け止めてくれているわけだから、そういう人を上手く誘導したら、新しい世界に目覚めてくれるかもしれない。考えようによっては、絶好のチャンスじゃないですか。

そこで解説の出番ですよ。あれはマニアの暇つぶしで掲載されてるわけじゃない。来たお客さんに、事前に伝えたいことが、あそこに要領よくまとまっているべきでしょう。だとしたら、聴いて迷いそうなポイントをちゃんと書いてあげなきゃ意味ないじゃん。

慣れないお客さんが多いことが予想されるコンサートのときは、曲目解説に「この曲は3つの楽章がある組み物ですよ」とか、「シュルシュルと風船がしぼむように収まって、最後は静かに終わりますよ」とか、お客さんが道に迷わないようなガイドを読み飛ばされないように、でも押しつけがましくないように書いておくと、それなりに効果がある場合がある(ように思う)。慣れないお客さんは、少しでも情報が欲しいから書いてあることを読む確率が高いし、そういうコンサートは、解説も短くて、本番前に読み終わることができる分量だったりしますから。

そして聴衆がよく知らない作品の場合、添乗員がツアーのコースを下見するように解説者はあらかじめその曲を勉強するわけだから、どのあたりに難所があって、絶景ポイントはどこか、といったことを書いてあげるべきでしょう。

(これをやると、本番中、「そろそろ打楽器が派手に鳴るぞ」とお客さんが待ち構える状態になって、解説を書いた本人としては、めちゃくちゃ緊張したりすることになりますけどね。そして演奏が不発だったり、別のところにポイントを置いていて、解説通りに進まなかったときには、本当に申し訳ない気持ちになるが、そういう風な失敗を含めて、解説という仕事を請け負っている者の試練であろうと私は考えております。)

逆に、つっけんどんで客を突き放すような、あるいは、正しいことだけ書いて書き手が保身を図るだけみたいな文章がそこに載っていたら、お客さんは本番が始まる前から大ピンチに陥ってしまう。少なくとも私には、そんな酷いことはできないけどなあ。(しかも、そうやってお客さんをワナにはめておいて、「あ、あいつ落とし穴に落ちやがった、くっくっく」みたいにあとで指摘して回るなんていうのは、大変趣味の悪いことです。まさに、大審問官による魔女裁判じゃないですか!)

東条、お前、そういう覚悟をしたうえで観客の拍手にぐちゃぐちゃと文句をつけてるんだろうな。当事者意識を持ってコンサートに臨んでいるんだろうな。え?

人格を否定するようなことを言うのは心苦しいけれど、でも、私には、この人がたくさんのお座敷からお呼びがかかるのにふさわしいのか、お書きになっていることを読めば読むほど、疑わしく思えてしまうのですけれど……。人間、忙しくなると心の余裕がなくなっていくものなので、少し休まれてはいかがですか。余計なお世話かもしれませんが。