投機目的

考えれば考えるほど真剣に腹が立って来たので、平和な書き込みは消して別の話に差し替えることにした。

全部ツイッターにログが残っているはずなので、暇な人は掘ればいいと思うけど、佐村河内問題について、増田聡先生は最初っから日和見で、資料の購入は「研究材料になりそうだ」と称した、いわば「投機目的」ですよね。

まあ、それは、物好きもいるものだ、でよしとしよう。

で、学会の顔役であるのをいいことに、それを半年かそこらで「ワークショップ」に仕立てるのは、いわば「インサイダー取引」じゃないんだろうか?

事件として発覚したとき、多くのクラシック音楽関係者は傷ついたし、当事者意識をもって、それぞれ、かなり考えて慎重に発言しましたよね。それだけの問題を含むと考えたからです。

リアルタイムにそういう様子をキミはどういうつもりで「見物」していたのか。

この無神経さは、「社会問題研究の価値中立」とは似て非なるモラルの問題を含むと思うがどうか? そして、そういうことを言いそうな人間が絶対に会場に来ないであろうことを見越して、安全な場所で好きなこと言えるようなセッティングをしているわけでしょう。いいのか?

(行動様式が、研究者のそれではなく、「旬の話題」をマッチポンプでネタにする往年のマスコミの手法の劣化コピーに見えて仕方がないのだけれど……。)

出版業界にコネがあるんだったら、せめて、講談社と幻冬舎の佐村河内担当をパネリストに呼ぶくらいの根性見せろや。

そもそも、どうして新垣さんを呼べないの。これでは欠席裁判じゃないか。

一連の出来事は、私人・民間人が起こした騒動であって、民間人の営利活動がジャーナリスティックに話題になり、徐々に収束しつつあるに過ぎません。今のところ刑事事件に発展したり、法的な問題が起きたりしているわけではないし、おそらくそのように穏便に決着しつつある背景には、水面下の見えない様々な努力などがあったのではないかと思われます。そして当事者・関係者は今も当然ながら、みんな生きているわけです。どういう権利があって、あたかも全能の発言権が自分にあるかのように物事を采配しているのか。何をどのように掘り返そうというのか?

物事には踏むべき手順がある。そういうのを全部すっ飛ばして、絶対に自分は安全安心と思ってやってるだろう、違うか?

多くの音楽関係者にとって、すぐ近くで起きた事件だったのだ、という現実的な距離感なしに立てられた企画なのだとしたら、実際に人が集まった当日に立ち往生するリスクを抱えることになると思うけどなあ。みんなが大目に見てくれたらいいけどね。大丈夫であろう、という己の「人望」に賭けるのか? 学会を丸ごと巻き込んで……。

(反面、無関心は人はまったく無関心な話なので、やればできちゃうでしょうけど。)