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(なんとなくもっともらしいことを言って場を取り繕うのを「きれいごと」と言うが、大衆文化論では、なんとなくもっともらしい俗悪を言って現役感を保持しようとするのを「きたないごと」と言うべきかもしれない。偽善の双子の弟としての偽悪か。二人は案外仲が良い(のかもしれない)。

でも、それは、オーケストラ音楽で何ができるのか、何をどこまでやっていいのか、どこまで巨大な「仕掛け」に乗って良いのか、などなど、具体的に悩みながら今回の事件を受け止めたクラシック音楽関係者の空気とは遠い気がする。勝手に言ってろ、と、お互いがそっぽ向くことになるんだったら、やらんほうがいいことになるんとちがうか?

シナリオをごり押ししてロートルがリングに上がる「終わった」感満点のプロレス興行の話はこれにて終了。)