文学と哲学、諸言語の物理学と言語による数学

佐々木健一先生は、仏文から美学の大学院に進学されたらしいことをウィキペディアで知り、へえ、と思うとともに、なるほどなあ、と思った。

哲学が概念の分析(英米流分析哲学)を強調すると、「言語の数学」と呼びたくなる性格が表に出るように思うのだけれど、『せりふの構造』が演劇言語の記号学であったり、『作品の哲学』に演劇の例が多く含まれていたり、『タイトルの魔力』というテーマを見いだすことができたりしたのは、佐々木先生が、「諸言語の物理学」といいたくなる言葉の働きに敏感で、だから、表象文化というアプローチと並び立ち得たのかなあ、などと思った。

だから、『美学辞典』は、言葉(辞)の dictionary でなければならなかった、と。

20世紀末の東大に「美学・芸術学」っぽい学科が文学部と教養部の両方にあった不思議な感じは、フランス語・フランス文学から出発した人たちのなかから、一方で、表象文化の総長が現れ、他方で、芸術言語の物理学の達人が生まれ、さらに野に下ったノーベル文学賞作家が出てくる、という文化状況の一部と考えればいいのかもしれない。

人文科学が「言葉の物理学」であった時代、人文学者が湯川秀樹や朝永振一郎を本気で目標にした時代があったんだと思う。