この件は、Verfremdungseffekte in der Chinesische Schauspielkunst と呼ばれているテクストがブレヒトの手元に残された草稿で、没後に遺稿集に収録されたものであるらしいことがわかった。日本語訳は千田是也が訳したブレヒト演劇論集1の「真鍮買い」第三夜に入っているが、おそらくその後書誌学的な調査が進んで、これが Verfremdungseffekt の語の初出であると認定されるに至ったのだろう。
本気の共産主義者で革命のための教化・動員と演劇理論が絡まり合っていて、ブレヒトが考える「異化」は、シュルレアリズムにもその要素がある等というように、使えるものは何でも使え、状態になっているらしく、やっかいであるようだ。
こういう風に行動のための言語が特異な様式でテクスト化されているのを読むと、ほぼ同時期の英米圏の哲学が「行動としての言語」ということを強調したのは、言語論における冷たい戦争だったんだろうなあ、とも思う。
英米哲学からこのベクトルを読み落としてしまうと、何のことやら、わからなくなってしまうのではなかろうか?